研究課題/領域番号 |
16520182
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
ヨーロッパ語系文学
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研究機関 | 明治大学 |
研究代表者 |
角田 幸彦 明治大学, 農学部, 教授 (70142544)
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研究期間 (年度) |
2004 – 2007
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研究課題ステータス |
完了 (2007年度)
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配分額 *注記 |
2,580千円 (直接経費: 2,400千円、間接経費: 180千円)
2007年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2006年度: 600千円 (直接経費: 600千円)
2005年度: 600千円 (直接経費: 600千円)
2004年度: 600千円 (直接経費: 600千円)
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キーワード | 魂の救済者 / 宮廷政治 / ギリシア悲劇 / 情念劇 / 運命劇 / ストア哲学 / 死 / 精神史 / ローマ初期帝政 / ネロ / 自然学 / 倫理学 / 道徳書簡 / 対話性 / 政治 / ローマ哲学 / ローマ精神史 / ローマ悲劇 / 元首政 / 解放奴隷 / 共和政 / 都府ローマ / 弁論術 / ネロの家庭教師 / 苦悩の政治 / ルネサンスへの影響 / 演劇 / キケローとの違い |
研究概要 |
ルキニウス・アンナエウス・セネカ(紀元後1〜65)はローマ帝政期を自らの重々しい運命として生きた哲学者である。彼はローマ初代皇帝アウグヌトゥス、二代皇帝ティベリウス、第三代カリグラ、第四代クラウディウスそして第五代ネロの時代を生き、時代との対話において哲学した。この帝政期ローマは共和政期ローマとちがって、自由な言論政治は封ぜられていた。国家統治は宮廷の中でいわば密談でとりしきられていたのである。セネカは30歳あたりから雄弁力でローマ社会で認められ、かつ彼は哲学者としてもその深く鋭い発言で反響をまきおこした。しかし41歳のとき政治の争いにまきこまれてコルシカ島に流されてしまう。8年間に及ぶ追放生活が、しかしセネカの哲学を一層深くかつ温かいものにした。彼は苦しんでいる者、悲しんでいる者を慰めることに、その後哲学の中心を置くようになる。哲学の今日までの2500年の歴史の中で、セネカほど人間の弱さ、苦悩、悲嘆と向き合い、この姿勢で哲学を作っていた哲学者はいない。対話的に同じ次元に彼はいつも立って、行きづまっている者を元気づける。このセネカは、同時に、ローマ最大の悲劇詩人であった。ローマには意外であるが、悲劇の誕生のギリシア以上に大勢の悲劇詩人が出たのであるが、作品が完全な形で残ったのはセネカの作品のみである。それほど彼の作品はすぐれていた。そしてセネカはギリシア悲劇を徹底的に学びながら、それらの受け売り、模倣ではなく、ローマ人の心性を表現する悲劇を作ることに努力し、見事に成功した。本研究は哲学者セネカと悲劇作家セネカの緊張関係を、欧米の入手できる限りの研究書を読んで究明した。そして『ローマ帝政の哲人セネカの世界-哲学・政治・悲劇-』で成果を世に知らしめた。
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