研究課題/領域番号 |
16520397
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | 金沢星稜大学 |
研究代表者 |
藤井 一二 金沢星稜大学, 経済学部, 教授 (00139742)
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研究期間 (年度) |
2004 – 2005
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研究課題ステータス |
完了 (2005年度)
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配分額 *注記 |
3,100千円 (直接経費: 3,100千円)
2005年度: 1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
2004年度: 1,800千円 (直接経費: 1,800千円)
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キーワード | 渤海使 / 北陸道 / 津 / 高志国 / 国造制 / 出挙 / 畝田・寺中遺跡 / 畝田ナベタ遺跡 / 加茂遺跡 / 遣渤海使 / 上京龍泉府 / 駅家 |
研究概要 |
北東アジアと北陸地域の交流関係を渤海使・遣渤海使の往来を中心に検討し、渤海国研究のデータ収集にも努めた。とくに中国研究者の論文タイトルの検索を利便にするため「渤海国研究論文目録」を作成した。また日本列島沿岸地域の海上交通拠点である津(湊)の役割に注目し、渤海使の往来を中心にして越前国加賀郡(現金沢港周辺地域)の津周辺に活動した家族の生産・生活の特質に焦点を当てた。金沢市畝田・寺中遺跡出土の「天平勝宝四年」銘出挙木簡の検討を通じて、当該地域に津の管理出先機関(郡末端機構)とその運営に関与した郷レベルの住民が、春・夏の「出挙」を軸として相互依存関係を形成していたことを論証した。津や駅と隣接する村落には行政機関や物資の集積を可能にする倉庫などの施設とともに、それを支える人的配置が必要であった。日本海沿岸の各地域には津・駅家を拠点にして多様な交通ネットワークが形成された。また北陸道地域の歴史的前提をなした「高志国」について、越後・越中・越前国成立以前の段階から6〜7世紀にかけて前方後円墳分布と国造分布との関係を比較し、高志国の名称起源は律令制下の越前国足羽郡または越後国古志郡に比定される「高志国造」の「高志国」ではなく、北陸の最北部に位置する「高志深江国造」の支配した「高志」地域名であることを考察した。それは高志国の形成が大和政権の中枢に近い越前国の地から漸次支配領域を北進させたとする定説を再検討し、北方の蝦夷勢力との接点に勢力をもつ在地勢力を「高志深江国造」に任命したと理解する。中央政権と高志深江国をつなぐ交通ネットワークは国造制の段階からすでに整備が進み、その間の臨海拠点は津の機能を具有していた。本研究に重要な資料を提供する金沢港周辺域の遺跡データ(畝田東・西遺跡群)の最新報告書を2006年夏に入手したため、その資料的重要性に鑑み最新資料を組み入れて補充、発展させ、本研究費補助金による成果を中心に次年度、学術書として刊行する予定である。
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