研究課題/領域番号 |
16520454
|
研究種目 |
基盤研究(C)
|
配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
西洋史
|
研究機関 | 中部大学 |
研究代表者 |
河内 信幸 中部大学, 国際関係学部, 教授 (40161278)
|
研究期間 (年度) |
2004 – 2006
|
研究課題ステータス |
完了 (2006年度)
|
配分額 *注記 |
2,700千円 (直接経費: 2,700千円)
2006年度: 900千円 (直接経費: 900千円)
2005年度: 900千円 (直接経費: 900千円)
2004年度: 900千円 (直接経費: 900千円)
|
キーワード | ニューディール / 雇用促進局 / 連邦芸術計画 / 公共芸術事業計画 / 財務省芸術救済計画 / 非米活動調査委員会 / ベン・シャーン / 社会派 / ローズヴェルト / ダウンタウン・ギャラリー / ハーヴァード現代美術協会 / 具象主義 / 象徴的具象主義 / ローズヴェルト政権 / 大恐慌 / 芸術家会議 / 芸術家組合 / 農場保障局 / ダウンタウン画廊 / 社会的リアリズム |
研究概要 |
ニューディール政策には、公共芸術事業計画(Public Works of Art Project)、財務省芸術救済計画(Treasury Relief Art Project)、連邦芸術計画(Federal Art Project)など多くの芸術計画があり、財務省や雇用促進局(Works Progress Administration)の芸術プロジェクトも実施された。ところが、これらの芸術計画は財政基盤が不安定であり、失業者に対する救済事業か、芸術の向上を図る公的支援かという論争も常につきまとっていた。そのため、芸術計画は政府の支持基盤や政治情勢の変化に翻弄されるのであり、「戦時体制」への移行と非米活動調査委員会(House Un-American Activities Committee)の結成によって終焉を迎えることになるのである。しかし、"文化は社会を映す鏡"などといわれるように、「社会史」の観点から時代状況を総合化しようとすると、ニューディール研究も芸術計画を取り上げないわけには行かないのである。 ベン・シャーンはこの1930年代の社会危機を目の当たりにし、ニューディールの芸術計画から大きな影響を受けた芸術家であった。そして、シャーンは「社会」と「人間」を見つめる眼を磨き、強烈な社会意識をもって創作活動に取り組んだのであった。そのため、シャーンの作品には強い「社会的メッセージ」が込められており、冷戦や「ホロコースト」にも眼を背けることがなかったのである。その意味では、シャーンは自らのアイデンティティを問い続けた「社会派リアリスト」であり、作品を通して芸術の社会的意義を確かめようとした芸術家であった。 ところで、ニューディールの芸術計画には運営面で多くの問題点があり、計画自体の評価は必ずしも高いわけではない。しかし、連邦芸術計画などに参加した芸術家のなかには、後世に残る仕事へと発展する契機となったケースも多々ある。しかも、短期間であったにせよ、連邦政府の公共政策として芸術計画が実施されたのであり、文化遺産の保存や歴史の記憶・記録という観点からも、ニューディールの芸術計画を再検討する意義があると思われるのである。私は、芸術計画とベン・シャーンを調べるためにアメリカへも調査に出かけたが、シャーン自身は2度ほど日本にもやってきており、京都に代表される日本文化に興味や関心を抱いた芸術家であった。2度目の来日は1960年であり、シャーンが第五福龍丸のビキニ被爆事件をテーマに、『ラッキー・ドラゴン・シリーズ』を制作し始めた頃であった。シャーンはパリのモンパルナスに馴染めず、アメリカに眼を据えて創作活動をしたわけであるが、晩年は東洋文化にも惹かれていったことも忘れてはならないのである。
|