研究課題/領域番号 |
16520479
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
考古学
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研究機関 | 独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所 |
研究代表者 |
高橋 克壽 独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所, 都城発掘調査部, 主任研究員 (50226825)
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研究期間 (年度) |
2004 – 2006
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研究課題ステータス |
完了 (2006年度)
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配分額 *注記 |
2,700千円 (直接経費: 2,700千円)
2006年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
2005年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
2004年度: 1,100千円 (直接経費: 1,100千円)
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キーワード | 古墳時代 / 金工技術 / 金銅製履 / 渡来人 / 倭王権 / 東アジア / 金銅製品 / 新羅 / 百済 / 馬具 / 金製垂飾付耳飾 / 金銅製飾履 / 十善の森古墳 / 割りピン / 終末期古墳 / 金箔 |
研究概要 |
古墳の副葬品を使って、5世紀第2四半期になって本格的に流入する金や金銅を使った金工品を調べたところ、倭王権の関与のもとに分与されたものと、独自の対外交渉の結果、入手しえたと考えられるものという2つのあり方が判明した。前者は金銅装の金工技術が品目を超えて新羅の王陵周辺のものと共通する特色があり、時代のモードを反映したセットの導入となっている。これに対して、後者は金製耳飾を単独でもつ場合とそれに朝鮮半島系遺物が組み合う場合もわずかにあるが、いずれも対外交渉上有利な地域の古墳に見られることが多く、埋葬施設にも半島系要素が濃く認められることが多い。これらのことから、5世紀の倭王権の対外交渉はいまだ倭王権によって一本化されているような状態ではなかったことがわかった。なお、その相手の中ではともに加耶がもっとも重要な存在であった。 その後に登場した西暦500年頃の福井県若狭町の十善の森古墳に代表される新たな金工品のセットは、モチーフや組成などから百済に祖形が求められるものであり、金銅製の冠から履に至る金工品による装身制度のようなものを、当時の倭王権が学びとろうとした初期のものであることがわかった。 最後に、以上の金工技術の変化の背景を考察したところ、渡来系集団の波は5世紀を通じてこれまでの認識以上に畿内一帯に及んでおり、生活様式をはじめ、乗馬の風習に至るまで大変革を引き起こしていた。副葬品はその社会の変化を反映したものであったこと。そして、新たな渡来の波が西暦500年ごろに生じると、渡来系集団の墳墓には副葬品、埋葬施設に加えて、専用の埴輪生産まで見出すことが可能となり、倭王権が渡来系集団を明確に位置づけ、彼らとともに国家形成へと向かう新たな時代の到来を背景に金工品の変化も捉えられることがわかった。これが、古墳時代後期の時代像であった。
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