研究概要 |
本研究は,三倉論,とりわけ常平倉と社倉を通じて,飢饉に備える社会政策的な本来の性格と,景気刺激抑制効果,所得分配効果や金融政策を考慮したマクロ政策的な新たな性格を論じると共に,市場経済を論じる以前に解決されなければならない社会の信頼の構造と範囲,正義と公平,利己心と徳性,効率性と公正などの問題を,制度的枠組を通じて比較経済思想的に明らかにするということであった. そこでこの研究は,これらの手がかりを,近代以前の18世紀の日本においてもっとも体系的な二つの政治経済論とそれらに対する地域的な影響に求めた. まず,「常平倉ノ法」の導入によるルール化によって「制度建立」と厚生的「経済」との関係について論じた太宰春台『経済録』. 次に春台や彼の師である荻生徂徠に反対して,大坂・懐徳堂の中井竹山は個々の徳の自覚と学習によるネットワーク的プロセスが「制度建立」に先行すること,公共厚生のための制度設計とその波及効果につながることを標榜した.その結果,彼は認知・知識・行動に支えられた道徳的・協力的コミュニティを活性化させることが,諸「利」のディレンマを徳の拡大と安定持続性の下での「義利」の論理に解消しつつ,社会的保障と「公共性」がモラルとリスクとを共有できる「制度組立」による厚生思想に行き着いた. 春台から竹山にかけての展開は,制度としての市場経済を論じる以前に解決されなければならないテーマであり,それは長期期待の下で社会意識として,「公共」双方の利益をも内在させる仕組を考えることであったことがわかる.しかし,「制度建立」か「制度枠組」のいずれが社会にとって有効かという選択システムに対する時間的制約が迫り,そして合理性が狭小な方向に集約されたとき,制度設計による経済思想は,新たな社会構造段階の「厚生」をめぐる「公議」というフレームとして再検討されるであろう. 制度設計による比較経済思想の課題は,経済学が「人間の研究」であるという枠組をもった19世紀後半から20世紀初頭にかけての欧米の近代経済学においても,日本の「義利」と「制度組立」との関係と同じように,協力性向の長期繰り返しゲーム的性格を通じて経済主体間が互いに資産基盤を提供し,そして「経済」思想と「厚生」思想との融合プロセスの点で,比較経済思想からみて重要な示唆となりうるであろう.
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