研究分担者 |
大淀 昇一 東洋大学, 文学部, 教授 (90016543)
神吉 和夫 神戸大学, 工学部, 助手 (70031135)
小野田 滋 鉄道総合技術研究所, 情報国際部, 主査
北河 大次郎 文化庁, 文化財保護部, 文部技官(研究職)
原口 柾人 北海道開発技術センター, 道路情報館, 研究員
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研究概要 |
古市公威(1854〜1934)は,第1回文部省貸費留学生としてフランスに留学した後,エコール・サントラル,パリ大学を卒業し,1880(明治13)年に帰国した。その後,帝国大学初代工科大学学長として近代工学教育の黎明期を指導し,また内務省土木技監・土本局局長,逓信省で逓信次官・鉄道作業局局長として政府内において国土づくりを指導した後,京釜鉄道会社社長として朝鮮半島での鉄道建設に陣頭に立って進めた。その後は,工学会理事長,理化学研究所所長,万国工業会議会長等,工学・工業界のトップとして近代化を推進していった。 古市が指導した明治から昭和初頭までの国土づくりについて,明治初頭から昭和初期までを5期に分けてその概況を説明し,その到達点を分析した。また「教育」,「河川事業」,「港湾事業」,「鉄道事業」,「都市水利事業」について,古市の関わりも含めてその発展状況を具体的に考察した。さらに古市のフランス留学時代の学習内容を詳細に分析し,彼が受けた工学教育を明らかにした。 彼の生涯をかけての課題は近代科学をベースにしながらの技術,つまり「サイアンテフィック・エンジニアリング」の確立,それに基づく国土づくりと鉱工業の発展であった。「殖産興業」,「富国強兵」を国是としたこの当時,工学は重要な役割を果たしながらもその社会的地位は低かった。古市は1919(大正8)年,男爵位を授けられたが,古市個人が授けられたというより工学界が認められたとして喜んだ。古市の最後の花道は,1929(昭和4)年,東京で開催された「万国工業会議」であった。古市は会長として会議を引率するとともに,日本の工業発展を大いに紹介した。 これらの研究報告・資料は,古市公威デジタル情報アーカイブスを作成して整理を行った。
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