研究課題/領域番号 |
16560566
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
建築史・意匠
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研究機関 | 京都工芸繊維大学 |
研究代表者 |
中川 理 京都工芸繊維大学, 工芸学部, 教授 (60212081)
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研究期間 (年度) |
2004 – 2005
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研究課題ステータス |
完了 (2005年度)
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配分額 *注記 |
3,400千円 (直接経費: 3,400千円)
2005年度: 1,500千円 (直接経費: 1,500千円)
2004年度: 1,900千円 (直接経費: 1,900千円)
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キーワード | 郊外住宅地 / 宗教施設 / 植民地 / 神社 / 寺院 / 郊外 / 住宅地 / 教会 |
研究概要 |
本研究は、日本の郊外住宅地の形成において、宗教施設がどのように誘致され計画されてきたのかを明らかにしようとしたものである。調査の結果、日本で郊外住宅地の開発が進む時期には、内務省の訓令によって、社寺の創設が厳しく禁じられていたことがわかった。しかし、移民地として位置づけられた、北海道や海外植民地などに限っては社寺を創建することは許された。そこで、郊外住宅地の意味を、こうした移民地の郊外で新しく作られる街や集落として捉え、そこで社寺がどのように創建されていったかを検証した。朝鮮、満州などの海外植民地では、早い段階で神社が作られ、次に、仏教各派がそれぞれ寺院を創設していった経緯がわかった。ただし、それらの神社や寺院は、植民地における外国人への布教活動のために作られたのではなく、もっぱら、開拓に従事した日本人のためのものであった。神社では「開拓神社」と呼ばれる小規模な神社が数多く作られていた。また、仏教寺院も、日本人入植者の故郷で信仰していた宗派の寺院が、入植者の希望に教団が応えるかたちで創設されていった。北海道開拓においても、宗教施設の創建の経緯は同じようなものであった。さらに、北海道では、北海道庁が行った開拓区画の制度の中で、社寺のための用地があらかじめ確保されていたことがわかった。その用地には、依頼を受けた仏教教団が説教所などの施設を作り、それが後に寺院として拡充されていった。こうした仏教施設は、入植者のための学校や集会所の機能も果たすことも多かった。一方、移民地ではない国内では、社寺の創建は厳しく禁じられていた。しかし、形式的に他の寺院の移転という形をとることで、郊外住宅地に強引に寺院を創建させてしまう例も見られた。以上のような調査結果から、日本人が作り出してきた新しい街や集落においては、常に神社と寺院が、人々の精神的なよりどころとして求められてきた実態が明らかとなった。
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