創氏改名、国語専用、志願兵制度、徴兵制、義務教育という植民地政策の一連の流れのなかで、朝鮮人には、「義務」と「権利」が認められ、大日本帝国の「国民」となる。これらの政策は「国民文学」の題材となり、やがて「国民文学」は「国語文学」たるべきものとして強調される。そこで、従来の「朝鮮文学」との決別が宣言されるのだが、大日本帝国の一地方としての「朝鮮」文学の存在や価値をも否定することができず、当時の在朝日本人文人と朝鮮人文人との間に、埋めきれない隔たりが浮き彫りになる。つまり、朝鮮人は、完全なる日本人になり、朝鮮文学も日本文学にならなければならないという在朝日本人文人の主張に対し、崔載瑞は「日本」の外延の拡大に注目し、むしろ「日本文学」の変革の必要性を明らかにする。それは、ほかならぬ、大東亜共栄圏をリードしうる大日本帝国文学の模索と構築である。大日本帝国の朝鮮文人は、地方文学としての「朝鮮文学」をふまえつつ、さまざまな民族・国家の集合体である大東亜をリードすべき「日本文学」にその一員として積極参加すべきである、と崔載瑞は主張し、さらに朝鮮の郷土色こそが国民文学の主要な要素であると説明する。朝鮮人の皇民・皇軍化を先導する彼の国民文学論には、国語による朝鮮文学の新たな建設があり、朝鮮人の国民としての自覚が唱えられる。しかし、国家と国民を関係付ける権利と義務に対する明確な認識はなく、戦争への動員を目的とした「滅私奉公」「武」といった前近代的徳目が「国民文学」の題材となる。三国統一の際の花郎を主人公にした戦争物語が国民文学として登場することは注目に値する。国民文学は休刊をもって敗戦を予告し、歴史から姿を消したが、解放後の南北分断・対立の歴史の中で、戦争動員のための国民文学の形式・論理は、消え去ることなく、生き続けていた。今、論文執筆中である。
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