研究課題/領域番号 |
16710170
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研究種目 |
若手研究(B)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
地域研究
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研究機関 | 北海道大学 |
研究代表者 |
浜井 祐三子 北海道大学, 言語文化部, 助教授 (90313171)
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研究期間 (年度) |
2004 – 2005
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研究課題ステータス |
完了 (2005年度)
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配分額 *注記 |
1,800千円 (直接経費: 1,800千円)
2005年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
2004年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
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キーワード | イギリス / 現代史 / ナショナル・アイデンティティ / 移民 |
研究概要 |
イギリス政府は移民流入への世論の反発に後押しされる形で、1962年、それまでの植民地や英連邦の住民を含む全ての「イギリス臣民」に自由な入国を保証する入国管理制度を廃止し、入国希望者のパスポートの発行元によって入国管理を行う制度を同年の英連邦移民法によって導入した。これは全ての「イギリス臣民」は「母なる国イギリス」に入国する権利を有するという1948年イギリス国籍法によって確認されたグローバルな「ブリティッシュネス」概念のあり方を覆すものであり、そこでは旧英連邦(白人入植地)も新英連邦(「有色人種」が居住する旧植民地)も区別されなかった。しかし従来グローバルな「ブリティッシュネス」と並存してあった「白人性」と分かちがたく結びついた狭義の、排他的な「ブリティッシュネス」概念は62年の移民法による対応を決定的に遅延させた(50年代には、旧英連邦からの人の流れを妨げることには大きな抵抗があった)し、国籍法の改正ではなく移民法の改正によって「真のイギリス人」を定義するというやり方は後々にまで影響を及ぼす結果となった。 1960年代後半から1970年代前半にかけて、イギリス政府はイギリス連合王国政府発行のパスポートを保持し、1962年英連邦移民法によって流入を阻止できない東アフリカ諸国からのアジア系住民の流入問題に直面したが、結果、国民世論に配慮する形で1968および1971年の相次ぐ移民法改正に踏み切ることとなった。そこでは血統主義的な「パトリアリティ」という概念が導入され、「ブリティッシュネス」は再び、「白人性」との分かちがたい繋がりを浮かび上がらせることになった。1972年のウガンダ難民危機のような事例では、ウガンダからのアジア人の受け入れをめぐる議論において従来の「帝国の責任」から生じるものというよりも難民に対する「人道的な救援」としての意味合いが強調されることで、イギリス政府の対応は寛容であると評価されたが、「ブリティッシュネス」概念の曖昧さによって生じた国籍法と移民法の齟齬は1981年国籍法の改正まで先送りされることとなった。 (研究成果の一部は2006年にロンドンのInstitute of Historical Researchで開催されるAnglo-Japanese Conference of Historiansにてペーパー発表される予定である。)
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