研究課題/領域番号 |
16720011
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研究種目 |
若手研究(B)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
中国哲学
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
李 承律 東京大学, 大学院人文社会系研究科, 講師 (10361560)
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研究期間 (年度) |
2004 – 2006
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研究課題ステータス |
完了 (2006年度)
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配分額 *注記 |
3,100千円 (直接経費: 3,100千円)
2006年度: 1,800千円 (直接経費: 1,800千円)
2005年度: 600千円 (直接経費: 600千円)
2004年度: 700千円 (直接経費: 700千円)
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キーワード | 出土資料 / 上海博物館蔵戦国楚竹書 / 感生説 / 禹 / 契 / 后稷 / 緯書 / 受命 / 楚簡 / 容成氏 / 儒家 / 堯舜禹 / 九州 / 治水 / 古帝王 / 諸子百家 / 尭舜禹 |
研究概要 |
1.上博楚簡『子羔』の感生説と二重の受命論(『中国出土資料研究』第十一号、2007年、未刊) 【概要】古文献に見える中国の感生説の例は枚挙に暇がないほど多い。特に漢代以降に成書された文献資料や編纂資料には、.ある程度まとまった形の感生説が多く見受けられる。しかし漢代以前となるとごく断片的な形で散見するにすぎない。その中でも最も古い形態が禹・契・后稷の感生説である。さてこの三代の始祖の感生説は、それらすべてが先秦文献に記録として残っているわけではない。契や后稷の感生説は『史記』に始めて明確な形で書かれているが、禹のそれは『史記』にすら見えない。このような事実から、三代の始祖の感生説は、従来、秦漢のような統一王朝形成期に要請され形成されたのではないかという見解もあった。しかし、上海博物館蔵戦国楚竹書『子羔』の発見によって、そのような認識は再考が迫られるようになったのである。本稿では、それを次の二つの観点から考察した。一つは禹・契・后稷の感生説が『子羔』を前後してどのように展開していくかという問題についてであり、もう一つは『子羔』の発見によって、先秦時代の感生説の漢代的変容をどのように描き直せるかという問題についてである。前者の問題については、禹・契・后稷の感生説は、同時代に出現したわけではないことが判明した。そして、後者の問題については、「受命」(感生説的受命論と禅譲説的受命論)ということばを手がかりに考察を行ったが、.『子羔』においては感生説的受命論を禅譲説的受命論の中に包摂するという特徴があった。ところが、このような二つの受命論の関係は、前漢末期から後漢初期になると、『子羔』のそれをちょうど逆転させたような形で変容していくことが判明した。このように『子羔』の発見によって、感生説の思想史的空白の一つは埋められたと評価することができる。その意味において当篇の存在意義は大きいと思う。
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