研究課題/領域番号 |
16720150
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研究種目 |
若手研究(B)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
谷川 穣 京都大学, 人文科学研究所, 助手 (10362401)
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研究期間 (年度) |
2004 – 2006
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研究課題ステータス |
完了 (2006年度)
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配分額 *注記 |
3,900千円 (直接経費: 3,900千円)
2006年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
2005年度: 1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
2004年度: 1,600千円 (直接経費: 1,600千円)
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キーワード | 近代日本 / 学校教育 / 仏教 / 僧侶 / 教員兼務 / 社会史 / 宗教 / 慈善 / 民衆教化 / 教導職 / 佐田介石 |
研究概要 |
平成18年度は、明治前期の学校教育と宗教の関係について、とくに(1)仏教者の教員兼務論とその実態、および(2)俗人教育事業の諸相とその挫折の局面を歴史的に解明した。(1)では、明治10年代の僧侶による教員兼務の実態と推奨論について、仏教系雑誌『明教新誌』からその一端を探った。兼務に徳育改善を期待する地域の実情、仏教復興の絶好機と捉える有志僧侶、就学督促と学務経費節減の方策として歓迎する地方官、学校教育を依然忌避すべきものと捉え兼務を否定する教団上層・有力僧侶、その絡み合う言説状況を解明した(以上「明治10年代における僧侶の学校教員兼務」で公表)。だが明治20年前後には再び兼務論が盛り上がり、有力僧侶も奨励するようになる。そこには(2)、たとえば公立尋常中学校の経営や宗派を越えた仏教系中等教育機関の設立などの事業も絡み、近代仏教の俗人教育進出が空前の高まりを示した。とはいえそれは、俗人教育への積極的かつ具体的な取り組みではなく、「慈善」のかけ声とともに貧児教育(小学簡易科)に携わろうとする一時的な高揚であり、その熱意も概して簡易科制度の消滅とともに他の「慈善」事業へと転じ、教育の問題を現場に即して考える大きな窓口の可能性を閉ざすことになった。この直後、教育勅語の発布から「内村不敬事件」、そして「教育と宗教の衝突」論争が起こるが、仏教は論争の本質を自らの問題と考えず、ただキリスト教批判の好機とのみ捉えた。この過程こそ、近代日本学校教育の「非宗教性」、そして学校教育における国家神道の圧倒的優位の形成の過程であり、その点できわめて重大な局面であった。以上を「明治中期における仏教者の俗人教育」で論じ、公表した。
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