矢野荘は現相生市を中心に存在した東寺領荘園である。この地域は、鎌倉期~南北朝期の検注帳を始めとして、現地の様相がよく分かる史料が東寺百合文書・教王護国寺文書を中心に遺され、1609年の検地帳や旧公図も現地に遺され、地番図も作成されるなど、調査に利用できる資料が非常に豊富である。 本研究においては、下地中分後の領家方、若狭野雨内地区と荘域の北端である能下地区で調査を行った。若狭野雨内地区の調査では、検注帳に見える中世地名の現地比定を行うと共に、主要な3つの溜池による灌漑のあり方を確認することができた。特に現地で「稲垣さん」と呼ばれ、中世地名の「イガキモト」との関連が想定できる石積み遺構に関しては、矢野荘の開発領主である秦氏の祖先、秦河勝にまつわる伝承を確認した。中世矢野荘の開発の実態について窺い知れる興味深い事例といえよう。 能下地区の調査においては、小字地名との対照から、従来おおむね相生市域に対応していると考えられていた矢野荘域が、市域を越えて北側のたつの市にも及んでいたことを確認することができた。また、集落における聞き取りや現地踏査によって、三濃山求福教寺と能下地区との関わりについて知見を得ることができた。 いずれの調査もGISを用いた。Windowsソフト「QGIS」、Androidアプリ「野外調査地図」や「地図ロイド」を利用し、紙の地図では細かすぎて書き込めないよう情報も、地図を拡大することによって容易に書き込める、作成したデータをファイルで書き出すことによって、調査成果をスムーズに集約できるという有用性を確認することができた。また、容易に過去の地形図や空中写真をインフォーマントに提示できるため、聞き取りをスムーズに行うことが出来た。この内、「地図ロイド」に関しては制作者の方に依頼してベクターデータの読み込みに対応していただいたため、生徒が調査に用いるアプリとして、非常に有用であることを確認することができた。
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