研究課題/領域番号 |
16H07330
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研究種目 |
研究活動スタート支援
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
宗教学
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研究機関 | 同志社大学 |
研究代表者 |
平岡 光太郎 同志社大学, 研究開発推進機構, 助教 (00780404)
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研究期間 (年度) |
2016-08-26 – 2018-03-31
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研究課題ステータス |
完了 (2016年度)
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配分額 *注記 |
2,730千円 (直接経費: 2,100千円、間接経費: 630千円)
2016年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
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キーワード | マルティン・ブーバー / ハシディズム / ユダヤ・ルネサンス / シュムエル・アグノン |
研究実績の概要 |
ブーバーのハシディズムへの関わりについて、特に、以下の点を明らかにした。1909年より、プラハのユダヤ系学生グループに対して講演した際は、「ハシディズムの要素のないユダヤ・ルネサンスはあり得ない」と言い切った人物として認識されたブーバーであったが、彼が「ユダヤ・ルネサンス」という表現を使用しはじめた頃は、ハシディズムは肯定的な役割を担わされていなかった。1901年に『東西』に掲載された「ユダヤ・ルネサンス」を見てみると、「それ〔生の感情〕は、厚顔さやハシディズムのように、迷い込んで病的な現象へと陥った」とあり、彼のユダヤ・ルネサンス構想において、ハシディズムの占める場所はなかった。むしろそこに見られるのは、フリードリヒ・ニーチェやヤコブ・ブルクハルトの影響であった。 ハシディズムに対するブーバーの否定的評価が好転した決定的な契機は、1904年頃に彼がヘブライ語へと回帰する最中、その創始者、『ラビ・イスラエル・バアル・シェムの遺言』と題された小さな本に出会ったことであった。ブーバーはこの読書の経験を「たちまち圧倒され、そしてハシディズムの魂を感得したのは。原ユダヤ的なものが、私にはわかるようになってきた」と述懐している。このハシディズム理解は、1906年以降、ブーバーのシオニズム理解の中核となっていくものであり、テオドール・ヘルツルが目指した政治的シオニズムと比較して、極めてユダヤ教に沿った内容となっている。ブーバーの理解において、ハシディズムはそれ単独でユダヤ・ルネサンスを引き起こすことができなかった。同時代に起きたハスカラー(ユダヤ啓蒙主義)もそれ単独でユダヤ・ルネサンスを引き起こすことができなかったのであり、彼はこの二つを結合して、ユダヤ・ルネサンスへ導くことを試みた。1906年以降、ブーバーによるハシディズム関連の著作が若い世代を中心に広く受け入れられるようになった。
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現在までの達成度 (段落) |
翌年度、交付申請を辞退するため、記入しない。
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今後の研究の推進方策 |
翌年度、交付申請を辞退するため、記入しない。
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