研究課題/領域番号 |
16J00045
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研究種目 |
特別研究員奨励費
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 国内 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | 京都教育大学 |
研究代表者 |
黒羽 亮太 京都教育大学, 教育学部, 特別研究員(PD)
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研究期間 (年度) |
2016-04-22 – 2019-03-31
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研究課題ステータス |
完了 (2018年度)
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配分額 *注記 |
4,030千円 (直接経費: 3,100千円、間接経費: 930千円)
2018年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2017年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2016年度: 1,430千円 (直接経費: 1,100千円、間接経費: 330千円)
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キーワード | 古代 / 中世 / 寺院 / 別院 / 陵墓 / 山陵 / 天皇陵 / 地域 / 末寺 / 荘園 / 墓寺 / 醍醐寺 / 東安寺 / 小野廃寺 / 山科 / 地域史 |
研究実績の概要 |
本年度は主に次のような研究を行った。一つ目には寺院と山陵がその関係を深くすることについて詳論した。これまでの研究では、山陵に寺院が付属すること、〈陵寺〉が建立されることが重視されてきた。無論、そのことも重要ではあるが、本研究が注目したのは〈陵寺〉と山陵の関係が10世紀中葉~11世紀初頭を境として「反転」することである。かつて〈陵寺〉は山陵の兆域内に存在していた。ところが、摂関・院政期以降になるとその関係が反転し、〈陵寺〉の中に山陵が存在する(と観念される)ようになっていた。仁和寺と後田邑陵・村上陵、円覚寺と水尾山陵、大覚寺と嵯峨陵などの事例に明確なように、寺院が山陵を取り込んだのである。こうした現象を東アジア諸国と王陵と比較し、日本(の山陵)にのみ見出しうる特異なものであったことをクリアに示した。二つ目には、御願寺と寺名陵号の関係について議論を進展させた。昨年度、円融院への改葬後の一条天皇陵が「円教寺」であったことを論証したが、今年度はさらに史料を整理する中で、彼の息子である後朱雀天皇の陵もまた「円教寺」と呼ばれたことを明らかにした。円乗寺陵の被葬者として知られる後朱雀天皇であるが、彼の遺骨は円乗寺完成時点ですでに円融院山陵に埋葬されていたと思われ、一度たりとも円乗寺に置かれなかった可能性が高く、「円教寺新堂」とも言われた円乗寺の完成前後で変わったのは、後朱雀の陵号をどう呼ぶかの一点だけであった。このような円乗寺の創建事情が、陵号に混乱をもたらしたことを指摘した。その他、古代末期から中世初期にかけては、寺社の関係のみならず、様々な社会関係が大きく転回する時代であり、例えば人の編成なども変化していく。寺院社会内部における人的編成の変容についても、少々の分析を行った。これについては今後の課題とする部分が大きい。
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現在までの達成度 (段落) |
平成30年度が最終年度であるため、記入しない。
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今後の研究の推進方策 |
平成30年度が最終年度であるため、記入しない。
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