研究課題/領域番号 |
16K04445
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
教育学
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研究機関 | 北海道教育大学 |
研究代表者 |
坂本 紀子 北海道教育大学, 教育学部, 教授 (40374748)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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研究課題ステータス |
完了 (2018年度)
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配分額 *注記 |
2,340千円 (直接経費: 1,800千円、間接経費: 540千円)
2018年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
2017年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2016年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
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キーワード | 北海道開拓 / 特別教授場 / 分教場 / 単級複式学校 / 許可移民 / 郷土教育 / 戦後開拓 / 引揚者 / 樺太 / 国後島 / 満洲国 / 国民学校令 / 戦時体制 / 単級学校 / 特別な尋常小学校 / 教育史 / 北海道 / 初等教育機関 / 小学校 |
研究成果の概要 |
1920年代から1940年代までの戦前の北海道において、農業地域と工業および炭鉱業地域を比較すると、そこには教育条件に大きな格差があった。工業、炭鉱業地域に比べて農業地域の学校は、「簡易」な単級複式学校が多く、地域産業を背景として、いわば教育条件の階層的格差ともいうべき実態があった。戦時下における北海道は、府県と同様の教育を目指した。しかし戦時下の教育に従うことによって、教育は以前の「簡易な」教育に回帰していった。また、戦後1940年代の北海道は旧植民地から引揚てくる人びとの移住地となった。「戦後開拓」地に入地した引揚者にとって学校は、戦後を生きていくための拠り所となった重要な存在だった。
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研究成果の学術的意義や社会的意義 |
1920年から1940年代までの戦前の北海道教育を「府県と同様」になったと捉える先行研究とは異なり、多様な地域社会の実態から捉え独創的な、新たな北海道の教育史像を提示することができた。戦時体制下においては、「府県と同様」の教育を目指すが戦時教育に従うことによって以前の「簡易な」教育に回帰する実態があったことや、炭鉱地に朝鮮人労働者の子どもたちの学校や学級が設置されたという、明らかにされていない歴史を解明した。また、引揚者が多くの負担を背負いながらも学校を設置し、学校の存在が引揚者にとって戦後を生きるための拠り所であったことを明らかにしたことは、学術のみならず社会的にも意義あることと思われる。
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