研究課題/領域番号 |
16K04483
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
教育学
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研究機関 | 作新学院大学 |
研究代表者 |
小林 千枝子 作新学院大学, 人間文化学部, 教授 (10170333)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2020-03-31
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研究課題ステータス |
完了 (2019年度)
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配分額 *注記 |
2,600千円 (直接経費: 2,000千円、間接経費: 600千円)
2019年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2018年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2017年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2016年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
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キーワード | 高等学校 / 定時制課程 / 地域教育史 / 新制中学校 / 口述 / 青年 / 社会史 / 地域 / 戦後日本 / 教育社会史 / 新制高等学校 / 農村 / 中等教育 / 定時制 / 高度成長期 / 栃木県南地域 / 教育 / 共同体 |
研究成果の概要 |
本研究は、戦後も高校として残った栃木県内の全校の変遷過程を戦前から検証した。周年誌を主な史料とし、定時制課程に焦点を当てている。 その結果、定時制課程の変遷は3段階に分けられると結論づけている。第一段階は、多くの分校が開設された農業関係科を中心とする昼間定時制の全盛期である。第二段階は高度経済成長期で、教育内容の中心が農業から商工業に移り、夜間定時制が開設された時期である。第三段階では、高校進学が当たり前になった1970年代後半以降は、定時制課程がセーフティネットとなった、新しいタイプの高校になる時期である。第一段階の事例としての鹿沼農商高校を、第二段階の事例としての小山高校を検討した。
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研究成果の学術的意義や社会的意義 |
本研究は栃木県南部を中心にして、とくに高等学校定時制課程の変遷過程を通して、戦後日本の青年がどのように生きてきたかを明らかにしようとした。地域に焦点をあてることで、学校の教育内容や社会的役割、さらに、そこに身を置く生徒や教師の心性の一端をとらえることができた。また、戦後教師になった者の聞き書き調査を通して、戦後日本の学校社会の、現在とは異なる諸側面を明らかにすることもできた。 栃木県南の有名な改革者である田中正造の思想が、黒澤酉蔵と留岡清男を介して、間接的ながら、戦後日本の生活教育構想の一端に影響を与えた可能性を見出すこともできた。ただし、この点はまだ可能性の段階で、今後の検討が望まれる。
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