研究課題/領域番号 |
16K21302
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研究種目 |
若手研究(B)
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配分区分 | 基金 |
研究分野 |
教育学
特別支援教育
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研究機関 | 大分大学 |
研究代表者 |
雪丸 武彦 大分大学, 大学院教育学研究科, 准教授 (60614930)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2020-03-31
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研究課題ステータス |
完了 (2019年度)
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配分額 *注記 |
3,380千円 (直接経費: 2,600千円、間接経費: 780千円)
2018年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2017年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2016年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
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キーワード | 養護学校 / 学校設置 / 分離教育 / 特殊教育 / 定型化 / 病弱・身体虚弱教育 / 障害児教育史 / 病弱教育 / 戦後教育史 / 学校教育法 / 財政負担 / 規格化 / 補助金 / 学校制度 |
研究成果の概要 |
本研究の目的は戦後初の公立養護学校である門司市立白野江養護学校の学校史を明らかにすることである。特に,対象校が1950年に同校名となり,1953年光陽小学校,1957年光陽養護学校,1962年門司養護学校へと変化した期間を対象に,この間にいかなる要因により校種変更が生じたのか,戦後の対象校の特徴的な教育がこの間いかに展開されていたのかを資料収集を通じて明らかにすることとした。 この結果,①校種変更は1953年義務教育費国庫負担法,1956年公立養護学校整備特別措置法という2つの法律の制定が影響したこと,②戦後教育の特徴的な実践は上記の校種変更においても継承されていたことが明らかになった。
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研究成果の学術的意義や社会的意義 |
本研究が明らかにしたのは戦後の学校の定型化プロセスの一部である。戦後初めて設置された公立養護学校である門司市立白野江養護学校は,分離就学を予定されてしない,極めて特徴的な制度のもとで実践を行っていた。財政上の問題に起因して対象校は小学校~養護学校と校種を変更させるが,その中でも上記の制度と実践は維持されていた。このことから,1962年頃まで養護学校の定型はなく一定の自由さを保持し,多様な機能を果たすことが可能であったと考えられる。そしてこれ以降,分離就学を前提とする学校の定型化・収束化が進んだものと推測される。
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