研究課題/領域番号 |
17520037
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
中国哲学
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
永冨 青地 早稲田大学, 理工学術院, 教授 (50329116)
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研究期間 (年度) |
2005 – 2006
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研究課題ステータス |
完了 (2006年度)
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配分額 *注記 |
3,300千円 (直接経費: 3,300千円)
2006年度: 1,700千円 (直接経費: 1,700千円)
2005年度: 1,600千円 (直接経費: 1,600千円)
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キーワード | 王守仁 / 陽明学 / 明代出版 / 朱子晩年定論 / 陽明後学 / 中国思想史 |
研究概要 |
王守仁の学説が、いわゆる陽明学として、中国全土に急速に広まったことは、中国思想史における特筆すべき現象である。その要因としては、その学説の斬新さと共に、明代出版の隆盛に乗ってその学説が伝播していったことが挙げられる。当該研究期間の研究においては、その弟子達、いわゆる陽明後学の出版活動によって、その学説が広められていった様を、中国・日本各地の所蔵機関の調査によって、具体的に明らかにしてきた。その成果のうち顕著なものとしては、安徽省博物館に所蔵された、銭徳洪編『朱子晩年定論』の発見が挙げられる。本書は、陽明学の朱子学からの独立を宣言した、陽明後学にとっての記念碑的な著作であるにもかかわらず、従来、推論がなされるばかりで、実物を見た上での調査がまったくなされてこなかったものである。私は当該研究期間の実地調査により、同書が従来の推論とは異なり、王守仁自身の言説よりむしろ、その高弟、銭徳洪による増補の方がはるかに多いことを明らかにした。このことにより、前述のごとく、陽明学成立のメルクマールというべき本書が、王守仁と弟子との一種の共同作業によって成立してることを明らかにした。王守仁の著作が、その後学の努力によって広まっていったことは、従来も概論的に語られることはあったが、このように具体例によって述べられることは、現地中国の学者によってもあまりなされてこなかったものであり、日中学術交流の上においても有意義な成果と考えられるものである。
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