この2年間、山形県鶴岡市の鶴岡市立郷土資料館、致道博物館、東北公益文科大学等を2週間にわたり訪れ、文献収集に当たった。庄内徂徠学派は太宰春台と接触を持った享保寛保延享時代、春台の『論語古訓外伝』『孔子家語増注』『聖学問答』等の出版に資金援助を行ったが、そうした関係から文化2年(1805)、藩校致道館を設立した折りにも、徂徠の遺訓を受け『徂徠先生遺訓周易解』『毛詩正文』『孝経正文』『尚書正文』『大学中庸正文』『喪礼略』等の出版を行った。これらの文献は、現在鶴岡市立郷土資料館に保管され閲覧に供されているが、中でも祭主白井矢太夫が刊行した『周易解』とそのメモ書きである『周易断叢』は、庄内藩学や矢太夫の『周易』観が展開されているため、この二書を基に致道館の出版政策を探った。 出版政策とは、何らかの意図の基に社会及び文化面に何らかの影響を及ぼそうとする意志的行為のことであるが、庄内藩はその意志的行為を藩校の士人教育の場において展開した。また経書出版も、基盤とする儒学思想を徹底するため-解釈と読みの統一-の教科書を出版することであるが、『徂徠先生遺訓周易解』の序には、その刊行意図を(1)易諸説の論定(2)易研鑽による藩校の活性化(3)統治論としての易学解釈等と列記し、特に(3)には徂徠学を庄内藩独自に解釈し、現実的経世論に組み替え、具現化していった様子が窺える。特に『周易断叢』序(明治29年版)には「東月先生(注:矢太夫)、(略)、佐邦君、施教化、邦内悉治(略)蓋有所得於易也」と記され、『周易解』を現実的課題に対する施策へと読み替え、施策を実行していったことが裏付けられている。 こうしたことから致道館における出版政策とは、徂徠の学説を基本に中国古典を再解釈し、庄内藩に合致した経世論に読み替えていく、「読み替え作業」のことであることが分かる。この藩版と思想(徂徠学)との関係は、同じ徂徠学派であっても、東都の理念優先の徂徠学者と現実的課題に挑む実践重視の地方藩儒とは、根本的に異なっていることが分かった。
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