ヴァルター・ベンヤミンは、彼の著作「ゲーテの『親和力』」において、ゲーテが、この小説のなかで、彼の自由志向にもかかわらず、一方で宿命的な人生観、世界観に捉えられていることを指摘し、これを「神話的な力」と名付けた。本研究は言わばこの見解の批判的発展である。 2005年秋に独文学会北陸支部研究発表会で口頭発表をした、「ゲーテ『タウリス島のイフィゲーニエ』と犠牲」においては、犠牲を迫る諸力(=神話的な力)と犠牲の儀式を廃止しようとする意志(=自由への意志)が当該作品の中で、どのように対決し、展開していくかを論証しようとしたものである。これは冊子体の科研費研究成果報告書に掲載されている。 また、同報告書に同論と並んで掲載されている他の2論文について概要を述べると、まず、「『ファウスト』第二部第三幕におけるヘレナとフォルキュアス-美の啓蒙運動」においては、ヘレナの美という、文字通りの「神話」が、弱肉強食の生存競争を包摂しており、メフィスト扮するフォルキュアスとの口論を通じて、それがあぶり出され、最終的にヘレナの脱出という形で、この「神話」の克服が希望されていることを示した。つぎに「『親和力』における情熱、延期、昇華-オッティーリエとエドアールトを中心に」においては、情熱という、本来既成倫理や因習、すなわち神話的な威力をもったものを打破する力となるべきものが、度重なる「延期」行為を通じて、フロイト的昇華作用を受け、その結果、情熱自体が審美的方向に変質してしまう様を示した。 以上、当初の予定では、「ゲーテ『タウリス島のイフィゲーニエ』と犠牲」を含め、これら3つの論を学会誌に発表した上で、同報告書に掲載するつもりであったが、諸事情から、そのための時間を得られなかった。しかし3つの論とも、近いうちにしかるべき学会誌に掲載するつもりである。
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