研究課題
基盤研究(C)
この研究では、渡来神で大内氏の守護神である妙見信仰の伝播と性格を解明することによって、大内領国においていわゆる鎌倉旧仏教(特に天台・真言宗)と新仏教(特に禅・時宗)が地域秩序のため有機的に機能し、ひいては室町幕府体制を支えていたことを明らかにすることを目標とした。1.大内氏の妙見信仰と東アジア諸国の民間信仰との関係を、広く日本における妙見信仰の展開の中に位置付けることを目指し、『研究成果報告書』第1章のとおり、平安末期から南北朝初期にかけて大内氏が有力な二つの系統に分かれ、双方が守護神である妙見神を祀って内部の団結をはかろうとした動向を明らかにした。あわせて第2章のとおり、整備されたかたちの祖先伝説にとらわれない分析方法によって、大内氏の奉じた妙見神は道教系のものであるが、千葉氏とは異なり、図像を尊重せず、秘儀を重んずる傾向にあったことを明らかにした。さらに補説において、守護神など大内氏のユニークなあり方は、近世社会の中で文芸の中で人々を惹きつけ、その残像が記されていることを明らかにした。2.大内氏と禅宗の関係について多様な視点から考察したのではあるが、断片的な発見にとどまったので、第3章のとおり、禅宗以外で領国支配に果たす寺社の機能について考察し、(1)時宗寺院と領国内流通の関係、(2)神社祭礼の実態と意義、(3)都市の住人と寺社の関係を明らかにした。3.従来大内氏領国内でほとんど一向一揆が起こっていないことが注目されていなかったので、大内氏領国の状況から一向一揆を新たにとらえ直すことを目指し、まず一向宗の前提となる北陸地域の鎌倉旧仏教寺社の機能について考察した。『北陸宗教文化』20号掲載論文のとおり、院政末期に加賀国で起きた安元事件は、白山寺社は国衙の保護を受けていたにもかかわらず、比叡山延暦寺と複雑につながった事情から国衙と対立し、源平内乱へつながってゆくことを明らかにした。
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北陸宗教文化 20
ページ: 68-79
40015985130
「北陸宗教文化」 20号
Shimonoseki-shi Shishi Hensan ed,Shimonoseki City
Religion and Culture' Vol.20, pp.6 Hokuriku Society for Religious ar Cultural Studies Vol.20
ページ: 6-6