研究概要 |
1641年.オランダ人は出島に移され1868年の明治政府誕生までのほぼ200年間を過ごす。その間,キリスト教伝来以来西洋の音楽が日本にある程度根付き花開くまでになっていたのが、表舞台から姿を消す。しかし、『オランダ商館日記』には、1820年に長崎奉行の交代式でオペレッタが上演されたという記述や、出島の医官シーボルトが在日中にピアノ作品を書いたり、そのピアノ自体を山口・萩の豪商熊谷五右衛門に贈っで帰国したという資料がある。本研究では、主として平成17年度には(1)オペレッタの内容、平成18年度には(2)いわゆるシーボルトのピアノの実態調査とその作品について研究した。その結果、オペレッタは「短気な男」と「二人の漁師とミルク売り娘」が上演されたこと、その上演については、シーボルトのお抱え絵師の川原慶賀が七枚の絵に表して残しており、当時の様子を物語る貴重な資料となっている。一方、シーボルトのピアノは、1955年に郷土史家の田中助一によって発見され、その後広島の楽器店が修理したり、2000年の日蘭交流400年を記念したコンサートで音が再度よみがえる機会があったものの、全面的な修復までには至らなかった。しかし、1965年に財団法人熊谷美術館が発足し「シーボルトのピアノ」として展示されてから今日まで、同館の貴重な一品として所蔵されている。このように、本研究によって、200余年間におよぷ小さな出島の中で、西洋音楽がどのように鳴り響き受け継がれてきたかを少なくとも検証することができた。
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