研究概要 |
本研究は1938年〜1949年に中国の上海に存在した,ナチスドイツ支配下の中部ヨーロッパから逃れた約1万8000人のユダヤ人難民コミュニティの構成や活動を様々な資料の分析を通して解明しようとしたものである。 論文「上海のユダヤ人難民子弟への学校教育」はコミュニティが行った初等教育を考察した。上海のユダヤ人難民子弟の教育において特に重視されたのは,ユダヤ人としてのアイデンティティの確立(ユダヤ教およびヘブライ語)と英語の習得(学校でのドイツ語の使用は禁止された)だった。 資料調査「上海虹口地区『外人名簿』(1944年8月)に見られるユダヤ人難民」では,上海北東部の虹口東部と楊樹浦西部にまたがる約2km2の地域(俗に言う上海ユダヤ人ゲットー)に居住を制限された中部ヨーロッパ出身のユダヤ人難民1万2309人の国籍.性別・年齢・住所・職業を調べ,上海ユダヤ人難民社会の構成を明らかにした。 論文「上海のユダヤ人難民音楽家」は上海のユダヤ人難民に多かった音楽家の活動を論じた。彼らは当時東洋一と言われた上海工部局交響楽団で活躍するとともに,中国人学生を指導し,またその公演はコミュニティを文化的共同体としてまとめる上で大きな貢献を果たした。 論文「上海のユダヤ人難民社会における女性の地位」はユダヤ人難民が発行した新聞紙上での「バーの女性」論争を取り上げ,貧困とモラルの問題を通して移住者の生きる意欲と家族やコミュニティ内の連帯感の形成に女性たちが果たした役割を考察した。
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