研究課題/領域番号 |
17520513
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
西洋史
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研究機関 | 大阪経済法科大学 |
研究代表者 |
藤本 和貴夫 大阪経済法科大学, 学長 (70029734)
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研究分担者 |
華 立 大阪経済法科大学, 教養部, 教授 (20258081)
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研究期間 (年度) |
2005 – 2007
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研究課題ステータス |
完了 (2007年度)
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配分額 *注記 |
3,680千円 (直接経費: 3,500千円、間接経費: 180千円)
2007年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2006年度: 1,400千円 (直接経費: 1,400千円)
2005年度: 1,500千円 (直接経費: 1,500千円)
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キーワード | シベリア干渉戦争 / 極東共和国 / 大連会議 / 浦潮日報 / 利権 / 日ソ関係 / 中東鉄道 / 末次史料 / 日ソ基本条約(1925) / 石油利権 / 森林利権 / 日ソ漁業問題 / ウラジオストーク / 中華民国国史史料外編 / ウラジオストク居留民 / 漁業問題 / 中東路問題 / 末次研究所情報資料 / 東北アジア / 1920年代 / 中華民国史史料長編・外編 |
研究概要 |
本研究は、第1次大戦以前は各国の利害が対立し、政治的に大変不安定な地域のひとつであった東北アジアにおいて、ロシア革命によるソヴェト政権の誕生、およびそれに続いたシベリア干渉戦争の終結が、いかなる新たな国際関係を生みだしたか、そのなかでで日露・日ソ関係がどのように変化したかについて検討した。 1.日本はシベリアからの撤兵交渉と国交問題をソ連との「緩衝国」として設立された極東共和国と行うことで、東北アジアでの諸権益を維持しようとしたが、大連会議と長春会議で合意に達することはできなかった。その原因は、日本が極東共和国のソ連からの自立を過大評価したこと、政策決定が常に情勢から一歩遅れたことにある。 2.日本の撤兵後、ウラジオストクを中心とするソ連極東地域は、東北アジアで孤立していたわけではない。この地域は日ソ間の森林利権や漁業利権の舞台であり、また満州からの穀物の輸出窓口でもあった。日本居留民会が存続し、邦字紙『浦潮日報』が30年代初めまで刊行されていた。日ソ露関係の安定を象徴する舞台であった。 3.1929年の中東鉄道の管理をめぐるソ連と中国諸政府の対立は、東北アジアの情勢を不安定化するものであったが、中国中央政府はソ連と中国地方政府との対立を利用して中国の統一を進めようとした。 4.日本の末次研究所が第1次大戦前から第2次大戦中まで中国で収集した新聞の切抜帖「末次史料」は、ソ連・中国を含む東北アジア全般に関する中国語・英語と現地の日本語新聞を集めたものであり、日本の諸機関の東北アジアへの関心のあり方を明らかにしている。 5.1931年の満州事変が東北アジアにあった一定の平衡状態を破り、この地域を-挙に不安定なものにした。
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