研究概要 |
明治政府が企てた地籍編製事業の西欧的ルーツを探るため,ベルギー王国において二度の調査を行い,現地の新聞・地図・パンフレット・記帳簿などの資料収集存行った。その結果,渋沢栄一が徳川昭武に随行して西暦1867年10月2日に訪問した施設が,フィリップ・ファンデルメーレンが創設したブリュッセル地理学研究所であり,ファンデルメーレンが彼らを案内した可能性がきわめて高いことが明らかになった。また,渋沢らは研究所において,最近の地理学的刊行物を注意深く閲覧したということも現地新聞で報道されている。渋沢の日記には,ベルギーの精細地図等をみて大いに感心した旨の記述もみられる。また,研究所にはベルギーの地籍図と地籍簿が所蔵されていたことが,現地史料から確認でき,渋沢がこれらを見た可能性が高いことも推測できた。帰国後の渋沢は,ブリュッセル地理学研究所での経験を生かし,民部省・大蔵省において,土地制度改革と税制改革を連動させて行なうという大規模な改革構想を練った。最終的にその構想は,明治4年8月19日制定の「租税寮事務章程」における「地籍地券ノ法ヲ立ル」の文言として,大蔵省の業務のなかに明文化されることになった。これらの内容は,研究成果報告書に論文として掲載した。また関連して,ファンデルメーレンやブリュッセル地理学研究所に関する文献目録(英・仏・蘭・独)を資料として掲載した。 地籍編製事業の全国的展開については,収集しえた中央法令の編年目録を研究成果報告書に掲載したが,詳しい分析結果は論文として掲載できなかった。また当該事業の地域的差異についても,一定の資料を収集しえたが,時間の制約上資料や論文を掲載できなかった。
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