研究課題/領域番号 |
17520544
|
研究種目 |
基盤研究(C)
|
配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
人文地理学
|
研究機関 | 首都大学東京 |
研究代表者 |
杉浦 芳夫 首都大学東京, 都市環境科学研究科, 教授 (00117714)
|
研究分担者 |
原山 道子 首都大学東京, 都市環境科学研究科, 助教 (00117722)
石崎 研二 (石崎 研ニ) 奈良女子大学, 文学部, 准教授 (10281239)
|
研究期間 (年度) |
2005 – 2006
|
研究課題ステータス |
完了 (2006年度)
|
配分額 *注記 |
3,700千円 (直接経費: 3,700千円)
2006年度: 700千円 (直接経費: 700千円)
2005年度: 3,000千円 (直接経費: 3,000千円)
|
キーワード | 中心地理論 / ナチ・ドイツ / Christaller / 地理学史 / ポーランド |
研究概要 |
1.ナチ・ドイツによるポーランド占領以前の1937年に、ドイツ東部国境地帯では、オーバーシュレージエン国土計画共同体によって、国境を越えたポーランド側までもカヴァする中心地ネットワーク再編計画が策定された。そこでの中心地は、ポーランドなど他民族を支配するための戦略拠点の性格を備えていた。 2.Christallerの中心地理論が、ナチ・ドイツの東方占領地集落再編計画において集落配置のモデルとして受け入れられるまでの道は、決して平坦ではなかった。1938年に国土調査全国共同研究所の中に、Christallerを主査とする中心地研究グループが設置され、そこで中心地理論の東方占領地集落再編計画(当時はまだ、ポーランド占領前)への応用の是非が議論された。グループメンバーの中で、主な論客は、間もなくしてNeue Stadtを著すGottfried Feder、Friedrich Bulow、Walter Geislerであった。このうち、Federは中心地理論を支持したように見受けられるが、Bulowは中心地理論はナチズムとは相容れない理論として厳しく批判した。また、同じ地理学者であるGeislerは、均質空間で演繹された集落の六角形構造を批判する。こうした批判に対して、Christallerは、1940年代に入ってから発表する論文において、論調を親ナチ的に変えながら、また理論そのものも、現実への応用を考えて修正を図り、混合中心地システムを提案する。 3.東方占領地への中心地理論の応用には、手本とすべき先行例があった。それは、オランダの国土計画に携わるテクノクラートたちが1930〜1940年代に策定したポルダー集落配置計画での中心地理論の応用であった。オランダを占領したナチ・ドイツは、そうした西方占領地での経験を東方占領地での集落配置計画に生かすことを目論んだ。
|