研究概要 |
今回の研究目的は,戦前期に於いて、欧州と極東の国際関係の変容の決定的転機となった4次にわたる日露協商の外交政策担当者の林董外相とロシア外相イズヴォルスキーの外交政策の内容とその外交思想を、日英露3国の多角的観点から明らかにすることであった。 イギリスの国立公文書館での英国外務書(FO)関係の膨大な資料を調査,分析し、その中で、FO800文書では日英同盟、日露協商の推進者であった林董外相の交渉の状況、英国外務省の評価,FO881では英露両国で日露協商,英露協商の双方の成立を望む動きがあったことが今回の調査で確認できた。英露両国の外交担当者の交渉内容から,英露関係の打開のためには、その前提として日露関係の関係改善が必要であることが言明されており、とりわけ、イズヴォルスキー外相が、日本との再戦に対する不安と日英同盟改定に対する警戒,ロシアの外交政策の欧州への転換,国内情勢の悪化などの理由によって、日露、英露関係の双方の打開を極めて強く希望していたことを明らかにすることができた。 国内では、外務省外交資料館に寄贈された林董関係の公文書,書簡、草稿などの殆どの資料を収集し、それを分析検討した。その結果、日露戦争直前の日英露問の外交交渉、林の日英同盟に対する見解、当時の日清韓3国関係の懸案事項になっていた間島問題などの林の見解を明らかにできた。 また、従来殆ど手が付けられていなかったロシア帝国外交史料館の外交資料を、研究協力者によって、調査した。これらの資料は今回の調査によって初めて明らかにすることができたものである。その中で、イズヴォルスキー外相をはじめ、ローゼン、バメテフ駐日公使などの重要な外交関係者の報告、とりわけイズヴォルスキーの日露交渉に対する考え方を示す報告やバメテフの韓国,清国などの極東情勢や林董についての報告が注目される。 以上の様に,この科研によって,日露戦争後の日露関係の大きな変容と展開の中で、当時の外交を担った林董とイズヴォルスキーの外交政策とその思想を分析検討することができたが、その一方で,極東での米国の要因が与えた外交的影響、また外交転換を促した国民的、通商的要因など、より広範な視点からの分析が必要という今後の課題も明らかにできた。
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