すでに、これまでの研究で、ガット体制成立の前提であった1943年から1945年にかけての英米通商交渉、さらに1948年のガット体制の発足前後で、農業が特別扱いされていく過程を解明できていたので、今回の研究では戦後の日本の保護主義的な農業政策がガット体制のもとで進展した過程の出発点を探るといった問題関心から、イギリス政府内で日本のガット加入をめぐってどのような議論が展開されたのかを明らかにすることに焦点を当てた。 研究は、おもにロンドンにあるイギリス国立公文書館での文書の閲覧とそれに基づく文書の分析からなる。閲覧した文書は、内閣府文書にある通商関係の諸ファイルである。 分析を通じて、1952年の日本のガット申請後、イギリス政府が低賃金に基づく日本の競争を恐れていた姿をとらえることができた。そこで、おもにイギリス側の関心の対象となっていたのは日本の綿工業であり、日本農業そのものは関心の外にあった。日本側の文書でもガット加入の主な狙いは東南アジア地域を中心とする輸出の拡大にあった。主要な事実発見としては、(1)イギリスの商務省が一方で自由貿易を強く主張しながら、他方では日本との貿易についてはイギリス産業保護の立場から保護主義的態度をとったこと、(2)イギリスによるコモンウェルス諸国への工業製品輸出とコモンウェルス諸国のイギリスへの農産物輸出といった従来の貿易連関とは別の、日本によるコモンウェルス諸国への工業製品輸出とコモンウェルス諸国の日本への農産物輸出といった貿易連関ができつつあり、それがイギリスのガット体制への姿勢を大きく規定していったこと、をあげることができる。
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