研究課題
基盤研究(C)
The National Archive:Public Record Officeなどにおける資料調査・分析により、以下の諸点を確認することが出来た。まず、戦後の国際収支が困難化することについては、イギリス当局は開戦後のかなり早期から意識しており、また、戦後の国際通貨体制に関するいわゆるケインズ案の作成もかなり早くから始まっていた。そして、実態は心配したとおりに進行していくので、要するにイギリスとしては「国際清算同盟」的な仕組みを追求するしかなかったのである。では、そのイギリスが何故「ホワイト案」を受け入れるに至るのだろうか。通説的な説明の一つはジェントルマン資本主義論的な理解であるが、これは理念的なレベルでの説明にはなりえても、当時の一般的な見通しや実態から考えると無理があると言わざるを得ない。加えて、イギリス大蔵省やイングランド銀行の内部文書からは、むしろ「ホワイト案」を本気で受け入れていない、あるいは実際の運用に入るまでには未だ交渉の余地があると考えていた、といった側面が浮かび上がってくる。さらにもう一つの問題として、IMF協定第8条に関してケインズが「錯誤」に陥っていたとの論点もある。結局、イギリスは為替管理権を放棄する気はなかったと見なすのが自然だと思われる。もっとも、戦後の現実は、第8条の運用が問題となる方向ではなく、まずは双務的な方向へ動き出し、英米金融協定が結ばれ、マーシャル援助が始まり、EPUが創設されていくのである。
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