研究課題/領域番号 |
17530265
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
経済史
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
籠谷 直人 (篭谷 直人) 京都大学, 人文科学研究所, 教授 (70185734)
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研究期間 (年度) |
2005 – 2007
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研究課題ステータス |
完了 (2007年度)
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配分額 *注記 |
3,700千円 (直接経費: 3,400千円、間接経費: 300千円)
2007年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2006年度: 1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
2005年度: 1,100千円 (直接経費: 1,100千円)
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キーワード | 華僑 / 合衆国 / 輸出繊維会館 / 自由貿易 / 輸出自主規制 / 輸出組合 / 繊維 / 香港 / アメリカ対日政策 / 繊維長期取極 / 若泉敬 / 日本綿糸布輸出組合 / インド人シンディ / 国務省 / 商務省 / 田和安夫 / コーワ / 三輪常次郎 / 通商摩擦 / 日本紡績協会 / 通産省 / 服部商店 / アメリカ合衆国 |
研究概要 |
戦後の日本の経済復興は繊維製品の輸出主導で進められた。1951年に日本の綿製品は世界第一位の実績を記録する。そして57年からは日本は対合衆国輸出自主規制にふみきる。自由貿易原則を謳いあげた合衆国であったが、国内の繊維産業を保護する政策を日本の輸出自主規制に求めたからであった。世界的な自由貿易原則の行使と、国内の産業保護を希求する、両義的な通商政策を、合衆国は取り続けた。これは、日米繊維摩擦が問題となるときに、共和党と民主党の双方で追求された政策であった。1950年代のアイゼンハワード政権においてリチャード・ニクソンは副大統領であった。ニクソンは1960年にジョン・F・ケネディ候補に、大統領選で負けた。しかし、ニクソンは、ヴェトナム戦争中の68年に、大統領に就任した。ニクソンは、繊維産業が集積する南部の票田を確保するために、外国からの繊維輸入を制限することを公約にあげた。1950年代後半から60年代初頭にみられた日米繊維摩擦が、ここで再熱した。ニクソン政権は、日本をはじめ、韓国、台湾、香港に、繊維製品の「自主規制」を求めたが、華僑ネットワークを有するアジア四国は強く反発して、通商摩擦の沈静には約3年を要した。しかし、こうしたアメリカとアジアの摩擦が、1971年のニクソン・ショックの背景となる。突然の訪中とドルの金交換停止は、合衆国とアジアの繊維通商摩擦問題を背景にしていた。
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