研究課題
基盤研究(C)
1.【飢謹の原因】1921-22年にヴォルガ地方を襲った大飢饉の原因としては、たしかに同時期の大旱魃があるが、それと同時に、第一次世界大戦中からの反ドイツ人意識・行動、十月社会主義革命(1917年)直後から内戦期の赤軍・白軍双方による厳しい食料徴発、そして旱魃期の適切な政策の欠如と輸送の不備などがあり、飢饉は単なる自然災害ではなく、人工的災害でもあった。この指摘は学問的に非常に重要であると考える。(研究成果報告書:論説1、論説2)2.【飢謹の実情】厳しい食料徴発にドイツ人農民は抵抗し、ときに暴動を起こしたが、それらは悲劇的結果を招くだけで、1921年早々から住民のほとんどが悲惨な飢餓に苦しめられ、それぞれの村では日々何人、何十人もの餓死者が出た。住民はドイツやアメリカに住む親類・知人に多数の手紙を書き、窮状を報告し、救援を訴えた。少しでも条件のよい土地へ避難・疎開する人の数も増加した。援助は国内からも行われたが、それよりも大きな役割を果したのが外国の支援組織(ドイツ、アメリカ、国際組織)と個々人(親類・知人)による援助(食糧・現金の輸送、現地での給食、医療)であった。飢饉は1923年に一応終息するが、1924年には住民は再び飢饉に襲われる。飢饉の実情に関する以上の解明は従来にない研究であるといえる。(論説1、論説2、資料1、資料2)3.【国外脱出】飢餓状況から逃れるために大量の住民が国外(主としてドイツ)へ脱出したが、途中で倒れ死ぬ者も多かった。幸運にも脱出行を続けることができた者は、そのほとんどは何日もかけて鉄道でポーランドとの国境に近いミンスクに集結したが、合法的に国境を越えることができたのは僅かで、不法に国境を越える者がいた一方、その途中で発見されて銃殺・逮捕・送還されるという悲劇も起こった。国外脱出の具体的様相についての以上の解明は従来にない研究といえる。(論説2)
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鈴木健夫編『地域間の歴史世界:移動・衝突・融合』早稲田大学出版部
ページ: 233-285
The Historical World across the Regions : Migration, Conflicts, and Assimilation, ed. By Takeo Suzuki, Wasedadaigakushuppanbu, Tokyo
鈴木健夫編『地域間の歴史世界--移動・衝突・融合』
ページ: 231-285
奥田央編『20世紀ロシア農民史』社会評論社
ページ: 253-289
A History of Russian Peasantry in the 20th Century, ed. By Hiroshi Okuda, Shakaihyoronsha, Tokyo