研究課題/領域番号 |
17560577
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
建築史・意匠
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研究機関 | 長岡造形大学 |
研究代表者 |
平山 育男 長岡造形大学, 造形学部, 教授 (50208857)
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研究分担者 |
藤川 昌樹 筑波大学, 大学院・システム情報工学研究科, 教授 (90228974)
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研究期間 (年度) |
2005 – 2007
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研究課題ステータス |
完了 (2007年度)
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配分額 *注記 |
3,700千円 (直接経費: 3,400千円、間接経費: 300千円)
2007年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2006年度: 1,100千円 (直接経費: 1,100千円)
2005年度: 1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
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キーワード | 町家 / 宿屋 / 絵図 / 長屋 |
研究概要 |
紀ノ川との関係から橋本における宿屋・旅館、町並みの関係や変遷を建築史的、都市史的な観点から考察を試み、以下の諸点をまとめとして挙げることができる。 1)近代以後における橋本と高野口を中心とする高野山参詣経路の変遷は以下の通りである。即ち、現JR和歌山線開通直後から、橋本の高野口に対する高野山参詣の優位性が圧倒的に奪われたという説は考えがたく、諸資料の客観的な数字などから判断すれば、橋本、高野口の両駅は同じような数の参詣者を集めた。そして、現南海高野線の延伸に伴い、橋本は参詣路の通過地点となり、高野口は参詣路から外れ、同じように段階的に参詣客を減少させることとなった。 2)橋本における宿屋・旅館は近世期においては橋本川沿いに集中し、明治時代中期の鉄道敷設以後、は橋本駅前に旅館が集中することとなった。 3)近世期における宿屋・旅館の建築は、『紀伊国伊都郡名所図会』を根拠にすれば、ツシ2階建大壁造の形式で1階を開放とするものであった。明治時代中期以後のものは3階建や総2階建の真壁造を見ることができ、正面立面には多くの窓を設け居住性の向上に努めた。 4)橋本地区は塩市、船継権など紀ノ川と深い関係を持ちながら成立発展した。一方、東家の町は中世以来の歴史を持ち、紀ノ川とは極めて消極的な関係しか見ることができない。また、橋本川沿いの地域は、河川氾濫の危険にさらされながらも、旧高野街道の伸張とともに宿場町としての発展をみたといえる。
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