研究概要 |
本研究は、近代日本の音楽家(本研究でいう「音楽家」とは、洋楽・邦楽をふくめ音楽の種類を問わず、職業的に音楽の演奏・教育に携わる人々をさす)の人材養成と就業の実態を、二つの方法によって明らかにすることを目的とする。 第一は、人材養成と就業の基盤が民間にあった邦楽(雅楽をのぞく)の音楽家の変化を、複数の名簿・統計資料によって数量的に明らかにした。具体的には、地域を東京に限定し、『諸芸人名録』(明治8年刊)、『明治41年東京市市勢調査』(明治44年刊)、『警視庁統計書』(明治25年縲恟コ和11年)から邦楽各ジャンルの専門家数を抽出し、1870年代〜1930年代の変化(年代差、地域差、男女差、関東大震災の影響)を跡づけた。 第二は、官制の中に人材養成と就業の基盤を有した雅楽と洋楽の音楽家の全体像を明らかにするために、諸名簿にもとづき4種のデータベースを作成した。その結果、明治期から昭和戦前期までの在籍者総数は、宮内省楽部で約240名、陸軍軍楽隊・海軍軍楽隊で約4,400名、東京音楽学校では約13,400名に上ることがわかった。 このうち、宮内省楽部と軍楽隊は、音楽演奏を主たる職務とする専門機関で人材養成機能ももつが、その養成期間は楽部の7年に対して軍楽隊が1〜2年と対照的である。また、楽部は在職期間がきわめて長く中途退部者も少ないのに対し、軍楽隊員の多くは在職期間よりも退役後の民間での就業期間が長い。もともと教育機関である東京音楽学校は、正規コースである本科・師範科のほかに、実技のみを履修できる非正規コースの選科をもち、全在籍者の約3分の2が選科に在籍した経験を有していた。また、女性や留学生にも門戸を開くなど、多様な教育機会を提供し、在籍者の多くを教職に送り出していたことが明らかになった。
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