1、授時暦の数理構造そのもの 授時暦はきわめて合理的に構成されており、わずかな点をのぞけば球面天文学的に理解可能である。問題がのこる部分は大きく分けて、テキストの不備によるものと、天文学的モデルに由来するものとがある。後者はこの研究期間中に発表された曲安京の論文、および藪内清・中山茂の共著書に論じられているが、いずれも十分とはいえないように思われる。もっともこの点を突きつめるには、東西の天文学史への深い知識とともに、理論、モデル、シミュレーション等に関する科学哲学的な考察が必要になるであろう。ひいては「合理的」「理解」等の意味も問い直さなければならなくなるだろうが、そうしたレベルをべつにすれば、本研究で授時暦の数理構造はほぼ解明できた。 2、授時暦注釈者それぞれのもつ特徴 授時暦の多くの注釈者のなかでも、中国では黄宗義や梅文鼎、日本では関孝和や建部賢弘の名がよく知られているが、これらの人々は『元史』暦志のような正統的な(だが不備の多い)テキストではなく、〓雲路や黄鼎などの著作を参照している。本研究でわかったことは、〓雲路や黄鼎はさらに唐順之を中心とする16世紀中頃の研究グループを参照しているということ、またこのグループは授時暦と回回暦を比較し、算盤をあやつるなど新奇なものに目を向けるとともに、弧矢割円術を復活し、天元術を理解しようと努めるなどすたれていた数学・天文暦学を再興しようと試みているということである。唐順之は数・理・義(意味)について論じた書簡を残しており、上記1との関係でも注目すべきである。
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