本年度は昨年度に収集した中国・北京の満洲語史料を補完するため、主にモンゴル国・ウランバートルのモンゴル語史料を調査した。研究成果の概要は以下の通りである。 第一に、北京の満洲語史料から、清朝中央部の政策決定過程、皇帝とモンゴル王公・現地派遣大臣の三者の応答を追った。その結果、モンゴル社会における変容の契機とされてきた乾隆48(1783)年諭旨が実は有力モンゴル王公ツェデンドルジの失脚事件に関連して出されたことを明らかにした。第二に、ウランバートルのモンゴル語史料から、この諭旨に対するモンゴル社会の具体的反応、個別の旗・個別の訴訟事例から社会構造の変容について検討を試みた。その結果、この諭旨を利用した訴訟が積極的に引き起こされたこと、しかし必ずしも構造的な社会変容がモンゴル全土で生じたとは言えないことなどを明らかにした。 本研究により、各国に所蔵されたレベルや言語を異にする様々な一次史料を相互に比較参照するアプローチの必要性・有効性が確認されるとともに、乾隆40-50年代の政治・社会状況を具体的事例に即して解明した。さらに清朝の対モンゴル政策の中心には常に皇帝とモンゴル王公個々の人的結合あるいはモンゴル王公間の勢力関係があり、従って現地社会の支配関係・社会関係は清朝の把握範囲外にあったこと、しかしながら、現地社会においては、個々の社会的事件が時々の中央政局の動向と密接に連動して生起していたことなど、今後の清朝史・モンゴル史研究に幾つかの新たな視点を提示した。 研究成果の公表については、昨年度に引き続き特に国外に向けた発信に重点を置いた。8月にモンゴル国で開催された第9回国際モンゴル学者会議において「アシグ章京の訴訟とその背景」と題する発表をおこなったほか、研究成果の核となる部分を2編のモンゴル語論文として発表した。
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