研究概要 |
本研究は古墳出現前後の日本列島と朝鮮半島における互いの土器の搬入や模倣・折衷のあり方を通じて,両地域の相互交渉を明らかにすることである。今年度,特に重点を置いたのは,韓国慶尚南道固城郡の東外洞遺跡で出土している北部九州系高杯で,当遺跡以外でほとんど見つかっていないという点に関心を持っていた。そこで,国立中央博物館にて実物資料の観察を行うとともに,比較のため北部九州在来の高杯の調査も行った。その結果,東外洞遺跡のものが口径20cm前後と小さく,北部九州と異なるものの,外形や旋文に類似点が認められることから,北部九州の影響を受けて,固城郡に局地的に成立したものと考えた。さらに東外洞遺跡については立地や朝鮮半島南海岸の同時期の遺跡を含めた検討を行い,原三国時代から三国時代初頭にかけての海上ネットワークの重要な拠点であり,交易の中継地であることを示した。この研究成果については,「中継地の形成-固城郡東外洞遺跡の検討を基に-」で発表した。 また,原三国時代から三国時代初頭にかけての両耳付壺の集成を行い,各地域の特徴を整理するとともに,日本で出土している搬入及び模倣・折衷の両耳付壺についても集成を行った。日本出土資料については忠清南道や全羅道に系譜が求められるものが多いものの,一部に慶尚南道に系譜が求められる搬入品や模倣、折衷品があることを把握することができた。また,模倣、折衷品については,搬入品が見られない地域にもあることから,耳孔に紐を通したりして運搬に利用することができる機能が日本在来の土器に取り入れられたことを反映していると考える。以上の検討内容については,近々発表する方向で資料整理を進めている。
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