研究概要 |
本年度は,これまで行えていなかった群馬県,埼玉県,長野県出土の金属製容器を中心に実測等資料化作業と出土遺跡関連文献収集を行った。資料化作業は,群馬県石原稲荷山古墳,富士山I遺跡1号墳,綿貫観音山古墳,有馬遺跡,荒砥洗橋遺跡,烏羽遺跡,下東西清水上遺跡,融通寺遺跡,国分境遺跡,白倉下原遺跡,元総社西川、塚田中原遺跡,山王廃寺,(伝)伊勢峙市波志江,埼玉県西原1号墳,(伝)児玉郡上里町,長野県塚原大塚古墳,南方古墳,島立南栗遺跡,下神遺跡,三間沢川左岸遺跡,辻前遺跡,恒川遺跡田中・倉垣外地籍,神奈川県赤田1号墳,岐阜県美濃国府跡出土の銅製容器について行った。また,韓国の舒川玉北里1号墳,武寧王陵,皇吾洞34号墳,池山洞44号墳,達城55号墳,忍冬塚古墳,鶏林路,弥勒寺址,雁鴨池,永川龍渓洞出土の銅製容器についても観察等資料化作業を行った。これによって主な出土例の資料化が達成できたため,次に,朝鮮半島と日本列島から出土した金属製容器の細部形態を指標に編年を行った。その結果,朝鮮半島の中において,体部外面の装飾が,多条の突線によるもの,突線と突線の間を匙面取りするもの,突線ぶ形骸化した二条の沈線とその間を匙面取りするもの,多条の沈線によるもの,という大きな変化の流れがあることが分かった。突線が形骸化して二条沈線化することには,中国大陸からの影響がある。二条沈線とその間を匙面取りする段階の製品から,朝鮮半島から日本列島への搬入が始まり,古墳から出土している。多条沈線の段階から日本列島での出土例が急増するため国産化した可能性もあるが,同じ段階の製品が朝鮮半島でも同時に急増するため,全てが搬入品の可能性もある。一部中国大陸産の多条沈線の製品も日本列島に搬入されている。また,日本国内において銅鏡は,同型式の製品が広域に分布するが,各地域内では重鋺セットとなっていたであろう口径の異なる同型式の製品が多く分布することから,畿内から配布され,地域中央から再配布された威信財の可能性が高いと考えられた。
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