研究課題/領域番号 |
17K03134
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
アジア史・アフリカ史
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研究機関 | 高知大学 |
研究代表者 |
吉尾 寛 高知大学, その他部局等(名誉教授), 名誉教授 (40158390)
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研究分担者 |
堀 美菜 高知大学, 教育研究部総合科学系黒潮圏科学部門, 准教授 (60582476)
松浦 章 関西大学, 東西学術研究所, 客員研究員 (70121895)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2024-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
4,420千円 (直接経費: 3,400千円、間接経費: 1,020千円)
2019年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2018年度: 1,690千円 (直接経費: 1,300千円、間接経費: 390千円)
2017年度: 1,820千円 (直接経費: 1,400千円、間接経費: 420千円)
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キーワード | 黒潮 / 台湾 / 日治時代 / 高知 / 宜蘭 / 蘇澳 / 漁業 / 移民 / 官営漁業移住 / 南方澳 / 東洋史 / 漁業移民 |
研究実績の概要 |
本研究は2017年9月から今日まで、日治時代の台湾南方澳に移住した家族の子・孫の世代に対して調査を行ってきた。物故者も多く、高知県在住者8家族から聴いている。本年度は台湾における調査を実施することができなかったが、従前の調査結果を具体的に纏める準備に大方を当てた:南方澳を「ナンポー」と呼ぶ彼らの話を通して当時南方澳で暮らした当該移住者の以下のような生活空間が浮かび上がってくる: 1)或る官営移住者の三世代家族の場合、孫に当たる情報提供者本人が1932年に当地で生まれた。加えて叔母が1926年にナンポーに来た。父親は「移民部落」(現南方澳市街地の現獅頭山沿いに近い「華山三巷」、同四~六巷及び「神州路」、「神州巷」にかけて)の附近の、第一漁港の南、対岸に造船所がある地区に二軒の家を持ち、その内のレンガ建ての家は、造船所を東対岸に見る方に在った兵営の兵隊に貸与していた。2)祖父はすでに「部落」(移民村)を離れて、第一漁港北側、近くに海水浴場がある地区に家を構えていた。また、第一漁港の西側岸壁沿いに鰹節工場があり、母親はそこで家内副業として働いていた。3)片や私営移住者は、その複数の話から、官営移住者とは反対の第一漁港の北側、魚市場の近くに多く住んでいたと考えられる。なお、官・私営双方の移住漁民の子供は、国民小学校2年次まで南方澳の分校で学んだ後、3年次からは蘇澳の駅近くに在った「蘇澳国民小学校」で蘇澳鎮市街地の子どもと一緒に勉強した。通学は基本徒歩であった。毎年冬には「蘇澳の金比羅神社」の前の浜から南方澳の海水浴場の間を遠泳し、多くの見物人が出たという。4)分担者松浦章は、台湾の農産品の日本本土との市場関係について分析し、南方澳の鰹節の本土における販売系統や満洲国との関係等について新たな示唆を与えた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2022年は、引き続き日本、台湾は共に厳しいCovid-19防疫策の下にあり、かつ代表者吉尾が家族の疾病発症とそれに伴う日常的介助に取り組みことになったことから、当初8月、9月に予定していた台湾での調査工作が一切できなくなった。ただ、2021年以前までに、日治時代の南方澳漁港の「移民村」の生活環境に関する主要な情報は8割以上把握することができており、正・負両方を相殺して上記の進捗状況を選択した。
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今後の研究の推進方策 |
代表者吉尾寛は分担者堀美菜と共に台湾南方澳を再訪し、官営移住者を中心とする高知県漁民の集合住宅居住地(「移民村」)の地点を最終確定するとともに、漁撈に関係する当時の主要な岸壁、魚市場、造船所等の跡を確認する。加えて、「兵営」、「蘇澳国民小学校南方澳分校」、「蘇澳の金比羅神社」等々当該移住者の生活環境の重要箇所についてその地点、痕跡を把握する。 また、この間の文献調査で新たに浮かび上がった公共墓地に関しても、現地の郷土史家等との事前協議を経て、再訪時に具体的な手がかりを得る。
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