研究課題/領域番号 |
17K13375
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研究種目 |
若手研究(B)
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配分区分 | 基金 |
研究分野 |
芸術一般
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
埋忠 美沙 早稲田大学, 文学学術院, 講師(任期付) (20468846)
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研究期間 (年度) |
2017-04-01 – 2019-03-31
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研究課題ステータス |
完了 (2018年度)
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配分額 *注記 |
1,430千円 (直接経費: 1,100千円、間接経費: 330千円)
2018年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2017年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
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キーワード | 歌舞伎 / 戦争劇 / 西南戦争 / 西郷隆盛 / 新派 / 九代目市川団十郎 / 河竹黙阿弥 / 西南戦争劇 / 明治維新劇 / 西南夢物語 / 西南雲晴朝東風 / 明治歌舞伎 |
研究成果の概要 |
西南戦争劇の詳細とその後の戦争劇への影響を詳らかにするとともに、演劇において西郷の造形が確立する経緯を詳らかにした。 終戦直後に上演された西南戦争劇は、新聞種と強調して時事性が強く、軍服の着こなしを重視し、漢語を使用していた。すなわち戦争の写実であることを重視しており、当時の歌舞伎は報道メディアとしての役割を果たしていたといえる。一方西郷の造形は、キワモノとしての西南戦争劇が明治30年代半ばに断絶したことを境に、大きく変化していた。その理由は、明治初年から受け継がれた西郷の造形が上野の銅像完成後(明治31年)は通用しなくなったためで、強力な視覚イメージが演劇に与えた影響が明らかになった。
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研究成果の学術的意義や社会的意義 |
本研究は明治演劇史の盲点となってきた西南戦争劇の研究を通じ、「歌舞伎は近代戦争を表現できなかった」という通説を見直すとともに、戊辰戦争から西南戦争を経て、日清日露戦争にいたる戦争劇の大系化の一助となった。 また西郷隆盛の造形について、明治初年から西南戦争や銅像建立を経て現在へ至るまでの変容の過程を、演劇を通じて詳らかにした。これは歴史研究や美術研究にも結びつく成果であり、演劇研究にとどまらぬ意義があった。
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