研究課題/領域番号 |
18320007
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研究種目 |
基盤研究(B)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
哲学・倫理学
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研究機関 | 新潟大学 |
研究代表者 |
栗原 隆 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 教授 (30170088)
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研究分担者 |
加藤 尚武 鳥取環境大学, 大学院・環境情報学研究科, 教授 (10011305)
座小田 豊 東北大学, 大学院・文学研究科, 教授 (20125579)
伊坂 青司 神奈川大学, 外国語学部, 教授 (30175195)
山内 志朗 慶應義塾大学, 文学部, 教授 (30210321)
佐藤 透 東北大学, 大学院・国際文化研究科, 准教授 (60222014)
城戸 淳 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 准教授 (90323948)
小田部 胤久 東京大学, 大学院人文社会系研究科, 助教授 (80211142)
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研究期間 (年度) |
2006 – 2007
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研究課題ステータス |
完了 (2007年度)
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配分額 *注記 |
17,150千円 (直接経費: 14,600千円、間接経費: 2,550千円)
2007年度: 11,050千円 (直接経費: 8,500千円、間接経費: 2,550千円)
2006年度: 6,100千円 (直接経費: 6,100千円)
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キーワード | 新旧論争 / 進歩史観 / 歴史哲学 / 美学の革命 / 超越論的観念論 / ドイツ・ロマン主義 / 物語論 / 新しい神話 / ドイツ・ロマン派 / 美学 / 芸術論 / 思想史 / ロマン主義 |
研究概要 |
1.共同研究の討議を通して、ヨーロッパにあっては、「古代」と「近代」との対比が、南方と北方、全一性と主観性との対比としても重層していたことを確認するとともに、近代の始まりがデカルトよりも早く、既に15世紀の初期フランドル絵画から、<近代絵画>の特徴を捉えることができることが明らかになった。一連の研究会の成果は、『ヘーゲル哲学研究』12号或いは13号淫発表された栗原隆や伊坂青司、小田部胤久による論考として結実した。 2.進歩史観は、近代における進歩を謳う思想ではなく、むしろ<近代>を超克せんとする発想がその根本にあって、それを裏返しに表現したのがロマン主義であったことも明らかにされることになった。こうした研究の成果は、小田部胤久並びに栗原隆が寄稿し、伊坂青司が編集した『ドイツ・ロマン派研究』(御茶の水書房)として結実した。 3.「古代」と「近代」のそれぞれに、「芸術」と「哲学」を対応させようとするのが、ヘーゲルのいわゆる「芸術終焉論」の枠組みであった。「芸術終焉論」は、人々の精神が主観主義化、アトム化した<近代>にあっては、「芸術」さえも個人の興味・関心に貶められることになりかねないので、「哲学」を通して精神の自己認識を回復せんとする、いわば近代の超克の必然性を明かすものであった。こうした知見は、栗原隆が編集した『芸術の始まる時、尽きる時』(東北大学出版会)に収録された栗原隆の論考「芸術が<興味をそそるもの>になった時」を始め、収載された山内志朗、佐藤透、加藤尚武、小田部胤久、森本浩一、城戸淳、伊坂青司、座小田豊による論考として結実した。 4.外面的に量的に成果を蓄積するモデルとしての進歩史観に対抗し、歴史が自己意識の歴史として「知」内面化されることを通して、「自覚の展開」としての歴史モデルが構想され、超越論的観念論として実現されたことが、栗原隆、伊坂青司、加藤尚武の研究論文が明らかにした。知を基礎づける超越論的観念論は、知の体系を内部から支えるなかで「自覚の展開」としての歴史にとっては「自らの限界を知る」ことがまず必要であることを物語っている。
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