研究課題/領域番号 |
18500765
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
科学社会学・科学技術史
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研究機関 | 東京理科大学 |
研究代表者 |
愼 蒼健 東京理科大学, 工学部, 准教授 (50366431)
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研究期間 (年度) |
2006 – 2008
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研究課題ステータス |
完了 (2008年度)
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配分額 *注記 |
2,920千円 (直接経費: 2,500千円、間接経費: 420千円)
2008年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2007年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2006年度: 1,100千円 (直接経費: 1,100千円)
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キーワード | 医学史 / 科学史 / 朝鮮史 / 韓国 / 植民地 |
研究概要 |
植民地期朝鮮における組織的な医学研究は、1916年に朝鮮総督府医院に設置された「伝染病及地方病研究科」から始まる。その名称からわかる通り、朝鮮総督府は朝鮮で流行するコレラに始まり、伝染病と地方病に対処するため研究の制度化を行ったのである。また、第一次世界大戦の影響もあり、1910年代後半から総督府山林課、警察、中央試験所によって薬草調査研究が開始され、伝統医学で用いられていた薬草のフィールドワークを行い、その成分分析が行われた。1910年代に京城医学専門学校が設立されるが、全分野にわかる本格的な医学研究は、1926年に設立された京城帝国大学医学部から始まる。解剖学教室における朝鮮人の体質人類学研究、在朝日本人女性の精神医学研究など、朝鮮地域を対象とした研究に特徴を見出すことは容易い。 本研究では、とりわけ衛生学教室の社会医学研究と、薬理学第二講座の漢薬研究に注目し、その特徴を抽出した。というのも、両者はその研究にきわめて植民地的な性格が反映されていたからである。前者の研究のメインテーマとしては、朝鮮住民の生命表、京城の疫学が発見できるが、奇妙なことに、その研究から人口の大半を占める朝鮮人の乳児死亡率や、京城朝鮮人の腸チフス・赤痢罹患率は排除されている。後者は植民地期朝鮮の医学研究において最も制度的に拡充された重点研究であったが、そこでは漢薬のフィールドワーク、化学分析、薬理分析が実行されていた。 これらの研究からは、植民地朝鮮における医学研究のアイロニーを見出すことができる。日本が導入した社会医学は朝鮮人の死亡率や罹患率を把握することができず、朝鮮半島の日本人研究に終始してしまう。また、西洋医学の視点から漢薬研究を推進した薬理学第二講座教授の杉原徳行は、薬だけではなく伝統医学そのものの価値を再評価するようになる。つまり、朝鮮総督府は西洋医学によって朝鮮社会の医学化を目論んだものの、社会医学研究においては朝鮮社会の実情から挫折を余儀なくされ、薬理学研究においては非合理と見なされていた伝統医学の価値を発見してしまうのであった。 この京城帝国大学医学部は、他の医学専門学校とも連携しながら研究を進めていた。たとえば京城医専の外科学教室は、京城帝大の薬理学教室と共同して麻酔研究を推進している。また、京城帝大は北京大学や満州の新京医科大学に教員を輩出し、植民地帝国日本の「外地」における人材供給源としての機能を果たしていた。 本研究は朝鮮人主体のセブランス医学専門学校、また地方の医学専門学校についても、その医学研究の内容を調査し、京城帝大との関係を調べ、比較を行う計画であった。しかし残念ながら、新たな史料を発見することができなかった。この点については今後の課題として、もう少し時間をかけた史料調査を行うことにしたい。
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