研究課題/領域番号 |
18510210
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
地域研究
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研究機関 | 北海道大学 |
研究代表者 |
荒井 信雄 北海道大学, スラブ研究センター, 教授 (10316284)
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研究期間 (年度) |
2006 – 2008
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研究課題ステータス |
完了 (2008年度)
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配分額 *注記 |
4,420千円 (直接経費: 3,700千円、間接経費: 720千円)
2008年度: 1,560千円 (直接経費: 1,200千円、間接経費: 360千円)
2007年度: 1,560千円 (直接経費: 1,200千円、間接経費: 360千円)
2006年度: 1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
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キーワード | ロシア連邦 / サハリン / 世論形成過程 / 旧共産党エリート層 / 日本(北海道)に対するイメージ / 報復主義 / 領土問題 / サハリン州 / ソ連共産党サハリン州委員会 / 反日的世論形成 / ペレストロイカ / 日ソ合弁企業 / 姉妹都市(サハリン州・北海道) / 地域レベル国際交流 / 北東アジアにおける統合過程 / 国際交流 / 北海道 / 合弁企業 / 姉妹都市 / 社会変容 / 地域間交流 |
研究概要 |
1970年代後半からの時期にソヴィエト共産党サハリン州委員会幹部会のメンバーであった共産党エリートの少なからぬ部分は、共産党崩壊後にサハリン州行政府、ユジノサハリンスク市行政府、サハリン教育大学(現在のサハリン国立大学)などに移動し、それぞれの立場から、サハリン州行政府などの意志決定過程に参与し、あるいは積極的な文筆活動を通じてサハリン州内世論の形成過程に関与している事例が少なくない。とくに顕著なのは、1980年代後半から共産党の崩壊まで、共産党ユジノサハリンスク市委員会の第一書記として幹部会メンバーであったE氏の事例である。共産党崩壊に伴って、E氏はサハリン州行政府の国際交流・対外経済交流委員会(行政組織)に移動し、1996年からは当該の委員会の議長の要職にあった。このポストで1997年から翌年にかけて、北海道庁の代表団と密接な接触を維持し、1998年に北海道とサハリン州の知事によって署名された「北海道とサハリン州の友好・経済交流に関する提携」合意書の内容に関する協議を行ってきた。その経過では、前述した北海道矢臼別演習場での米軍による実弾射撃訓練について、サハリン州の安全保障にとって無視できない脅威であるとする発言を行っていることは北海道庁代表団が作成した協議議事録によって確認できる。また、同趣旨のサハリン州知事書簡が北海道庁代表団を通じて北海道知事に伝達された。今回の研究の一環としてサハリン州ユジノサハリンスク市で行ったE氏に対するインタビューでも、この演習に反対する旨を作成中であった北海道との提携合意書に挿入することを意図して、サハリン州知事に対して北海道知事に対する申し入れの書簡を作成するよう提案したことを認めている。E氏は2000年にサハリン州行政府を辞職し、サハリン国立大学東洋学・経済学部で教職に就いているが、その立場で積極的な執筆活動を行っている。一連の著作のなかで、E氏が繰り返し強調するのは下記の諸点である。(1)1990年代以降のサハリン州と日本(北海道)との交易条件は、サハリン州側にとって不利なものであり、とくに水産品の貿易においては、北海道側の輸入者はサハリン州内企業に対してダンピング輸出を強制し、結果的には、サハリン州内漁業企業が違法な操業や密貿易を余儀なくされる状況を生み出している。(2)日本が領土要求の対象としている南クリル諸島は、歴史的には「発見、領有、開発」をロシアが最初に行った固有の領土であり、国際条約上は、第2次世界大戦の戦中および戦後にソヴィエト連邦が連合国と取り交わした条約によってソヴィエト連邦の領土として確認されたものである。したがって、日本の要求は第2次世界大戦の結果を見直すことを主張する「報復主義」にほかならない。(3)北海道はサハリン州との間に「友好・経済協力に関する提携」を合意しているが、他方では「報復主義」的な領土要求において拠点的な役割を果たしていることを軽視してはならない。これらの言説は、E氏より若い世代に属するサハリン州内の政治的に活発な社会層(たとえば、ロシア連邦議会で最大の議席を有する政党である「統一ロシア」のサハリン州組織の幹部や、その影響下にある主として大学生によって構成される青年組織「若き親衛隊」など)によって積極的に受容されている。ソヴィエト共産党が崩壊したことによって、1990年代末までに存在してきたサハリン州内での世論形成のメカニズム、すなわち、共産党組織の決定する政治路線が、その監督下にあるメディアを通じて、唯一の公認される路線として周知徹底されるというメカニズムは解体された。しかし、共産党組織における意志決定過程で大きな役割を果たした共産党エリート層は、大規模な社会変動を経過したサハリン州の社会においても、サハリン州行政府における意志決定の過程に大きな影響力を発揮するか、あるいはE氏のように、言論活動を通じて州内世論の形成過程に積極的に関与することによって、サハリン州内における日本に対するイメージの形成に小さからぬ役割を果たしていると結論づけることができる。世論の側が、上述してきたような日本に対する不信感を強調する言説を受け入れる要因については、今回の研究では十分に明らかにすることはできなかった。今後の研究の課題である。
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