基礎的な作業である本研究は、中国詩話が、日本中世の作品、五山文学にどのような傾向で引用されているのかを考察した。引用書、さらにその箇所、およびその使用されている詩論語がどのような傾向を持っているかを模索した。それは、いまだ研究がほとんど行われていない、日本中世における宋代詩話の影響を明らかにするばかりではなく、すでに研究が進んでいる中歌論を相対化させることにもなるはずである。基礎的な作業である本研究は、まず中国詩話が、日本中世の作品、五山文学にどのような傾向で引用されているのかの概略を探った。具体的には、(1)そもそも、山谷詩そのものに政治的性格が強い。それは彼の詩作時期を貫いていた。一韓は、その理念を敷衍して、拡大解釈を行ったと考えられる。それは、『山谷詩集』の中国注釈である任淵注によって補強される。任淵は典拠を指摘するばかりでなく、時に山谷詩を会社しようとしている。加えて、他の抄物の解釈にも引きずられている可能性も捨て切れない。特に、新法を強く批判した蘇東坡の詩集には一韓智?の抄物があり、そこには『山谷抄』と合致する山谷詩観が確認されるのである(『四河入海』)。このような視座に立って、直接の影響関係にあった中国と日本を再確認すると、世界的にも稀な勃興を見せた宋代試論が唐詩隆盛を位置づける営みであったと同様に、平安の和歌を位置づけるために興った日本中世歌論の繁栄は、やはり中国宋代詩論に何らかの触発を受けていると考えられるのである。さらに注目すべきは、『七毫源氏』が『正和集』や『水原抄』という古注釈の傍記を含んでいるということである。成立が『源氏詩』以降なので、直接の典拠にはなり得ないが、『七毫源詩』が依拠したであろう本文を『源氏詩』の作者は本文をとしていると推測した。つまり、『源氏詩』は尾州家河内本系統の本を使用し、さらに河内家の源氏詩をもっている人物によって書かれたと考えられるのである。
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