研究概要 |
この報告は、シド・コーマンの雑誌『オリジン』の包括的な歴史を紹介しようとするものであり、詩、手紙、エッセイなどを集めたコーマンの多大な影響力を有する国際雑誌に対する京都の影響を探求したものである。『オリジン』の第一シリーズ(1951-1956)は、コーマンが1958年に日本を訪れた際に登場したものであるが、第二シリーズ(1961-1964)では、京都を彼のポエトリー・マガジンの本拠地としている。『オリジン』誌は更に三シリーズ継続し、その後1990年代には、『印刷物-日本国際文芸報告』の中の「オリジン・アウトレット」として復活、そして最終的には2004年のコーマンの死に至るまでオンライン出版として引き続がれた。『オリジン』誌への投稿者は、20世紀後半において多大な影響を持った詩人たちの幾人かを網羅している。たとえばCharles Olson,Robert Greeley,William Bronk,Louis Zukofsky,Denise Levertov,Margaret Avison,Irving Layton,Gary Snyder,Theodore Enslin,Larry EignerおよびLorine Neideckerといった人々がこれに含まれる。 更に、コーマンの京都への来訪の後、『オリジン』誌は日本の影響を前面に出し、西洋の読者に草野心平の誌や芭蕉、能楽、万葉集からの翻訳を紹介した。コーマンの芭蕉の『奥の細道』の翻訳(英語題名Back Roads to Far Towns)、万葉集からの短歌、能楽、草野の詩などは、京都を訪れてまもなく知り合った釜池進との合作であった。同じく、オリジン出版からのコーマンの詩集の出版は日本の視覚芸術家Ohno Hidetakaとの共同制作による作品を含んでおり、また彼の他の書物はTsutaka WaichiおよびHayakawa Ikutadaといった芸術家との合作を含んである。 この調査の最終報告は北米の多くの大学図書館での調査や、カナダ、合衆国、日本で行われたコーマンの同僚や『オリジン』誌への寄稿者へのインタヴューを取り込んでいる。私が訪れた図書館は次のとおりである。Special Collections and Rare Books at Simon Fraser University Libary In Bumab
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y,British Columbia;The Bancroft Library of the University of Califomia at Berkeley,The Chancellor Paterson Library of Lakehead University,Thunder Bay,Ontario;The Thomas Fisher Rare Book Library of The University of Toronto,Ontario;The Poetry Collection of the State University of New York at Buffalo;the Lilly Library of Indiana University,and Kent State University Special Collections in Ohio.またインタヴューの対象者は次のとおりである。British Columbiaでは、Daphne Marlatt,Stan Persky,George Stanley,Phyllis webb,およびJoan Givner;OntarioではRaymond Souster. Don Priestman, およびMargaret Avison;Maineでは、Theodore Enslin; Ohioでは、Dean KellerおよびSanford Marovitz, Buffaloでは、Robert Bertholf, CaliforniaではGary SnyderおよびJoanne Kyger, 京都ではShizumi Corman, Edith Shiffert, Richard Steiner, Peter Makin,Peter Robinson,and 釜池進(前同志社大学教授)など多数;東京では、Taylor Mignon;and, 仙台では、Scott Watson. この報告はコーマンの日本の芸術への貢献、特に京都での貢献に焦点をあてている。コーマンは京都に住む国外移住者たちを繋ぐのに不可欠ともいえる文学的人物である。彼はWill Petersen, Gary Snyder, Clayton Eshleman, Philip Whalen, Kenneth Rexroth, Edith Shiffert, その他多くの国外移住作家たちと交流した。田口哲哉は「彼の存在のおかげで京都はアメリカ詩の中心となった」と述べ、John Soltは「シドは京都を日本におけるアメリカ詩の首都とした」と述べている。同時に、コーマンは多くの重要な日本の芸術家と上記に述べた合作へといたる友情関係を構築した。そして彼らとの交流が20世紀後半におけるコーマンの編集者、教育者、翻訳家、そして詩人として国際的重要性の証言となっているのである。 隠す
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