研究課題/領域番号 |
18520494
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
平 雅行 大阪大学, 大学院・文学研究科, 教授 (10171399)
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研究期間 (年度) |
2006 – 2009
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研究課題ステータス |
完了 (2009年度)
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配分額 *注記 |
4,030千円 (直接経費: 3,400千円、間接経費: 630千円)
2009年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2008年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2007年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2006年度: 1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
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キーワード | 鎌倉幕府 / 延暦寺 / 園城寺 / 東寺 / 将軍護持僧 / 元寇 / 顕密体制 / 鶴岡八幡宮 / 顕密体制論 / 権門寺院 / 幕府僧 / 鎌倉真言派 / 安祥寺流 / モンゴル襲来 / 鎌倉寺門派 / 円親 / 隆弁 / 尊星王法 / 増基 / 天台座主 / 北条時宗 / 随心院 / 将軍守邦 / 房玄 / 碧潭周皎 |
研究概要 |
本研究で私は、鎌倉幕府が宗教政策を二度大きく転換したことを明らかにした。一度目は、1246年の将軍の失脚と北条氏の勝利である。これを契機に顕密仏教への依存が抑制され、それに代わって幕府は禅律僧を重用するようになった。第二は1274年・1281年のモンゴル襲来である。幕府は祈祷の力でモンゴルの侵攻を阻止しようとして、再び密教を重視する政策を採用した。それによって鎌倉の顕密仏教は爆発的な発展を遂げ、鎌倉の僧侶たちはさらに延暦寺・東寺・東大寺など京都周辺の有力寺院に大量進出していった。鎌倉幕府の権門寺院政策も、この政策転換から大きな影響を受けていた。
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