研究課題/領域番号 |
18520503
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
木島 孝之 九州大学, 大学院・人間環境学研究院, 助教 (20304850)
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研究期間 (年度) |
2006 – 2009
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研究課題ステータス |
完了 (2009年度)
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配分額 *注記 |
4,190千円 (直接経費: 3,500千円、間接経費: 690千円)
2009年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
2008年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
2007年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2006年度: 1,200千円 (直接経費: 1,200千円)
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キーワード | 城 / 縄張り / 豊臣 / 九州 / 高崎山城 / 立花山城 / 大友氏 / 小早川氏 / 城郭 / 織豊期 / 旧族大名 |
研究概要 |
同じく旧族大名の出自を持ちながら、豊臣政権下の九州経営と朝鮮出兵という事業の中で政治的環境を大きく異にした大友氏と小早川氏。この大友氏の居城高崎山城と小早川氏の居城立花山城・名島城の縄張りの調査を行った。そして、これらの縄張りの構造の分析をとおして、一、九州における織豊系縄張りの受容の形態とその過程、二、豊臣大名としての両者の違いを解明した。これによって、城郭の縄張りという「物証」史料の面から、豊臣政権による九州経営とそれに続く朝鮮出兵の内実の一端を浮き彫りにした。
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