研究課題/領域番号 |
18520595
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
考古学
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研究機関 | 帝塚山大学 |
研究代表者 |
森 郁夫 帝塚山大学, 人文科学部, 教授 (50000477)
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研究期間 (年度) |
2006 – 2007
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研究課題ステータス |
完了 (2007年度)
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配分額 *注記 |
1,820千円 (直接経費: 1,700千円、間接経費: 120千円)
2007年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
2006年度: 1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
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キーワード | 法隆寺 / 若草伽藍 / 聖徳太子 / 斑鳩 / 軒丸瓦 / 大和川 / 新羅 / 皇龍寺 / 古代寺院 / 斑鳩文化圏 / 朝鮮半島 / 瓦当文様 / 上宮王家 / 軒瓦 |
研究概要 |
7世紀前半代の寺院造営事業は、大和を中心として進められていった。斑鳩の創建法隆寺(若草伽藍)に関しては、発掘調査によって造営技術の中に飛鳥地域のみならず、朝鮮半島など、複数の地域の要素が含まれていることが明らかになっている。そしてその技術は、斑鳩の地を越えて大和川対岸にまで及んでおり、片岡王寺・額安寺・長林寺などの軒丸瓦の瓦当文様にあらわれている。また、上宮王家建立の四天王寺の軒丸瓦に若草伽藍との同笵品が使われており、上宮王家が摂津難波津に近い位置に四天王寺を建立したことを示している。その意味からは、この地もまた斑鳩文化圏に含まれることになる。 そして若草伽藍に見られる複数の要素の中には、朝鮮半島の要素、特に古新羅の要素が濃厚に見られるのである。たとえば、若草伽藍の塔心礎が地上式であるが、この時期のわが国での塔心礎は地下式なのである。百済においても、この時期の塔心礎は地下式なのである。若草伽藍の塔心礎が地下式でないことは、百済以外の技術によったものであり、地上式心礎の事例が古新羅にある。 このことは、聖徳太子の外交政策の現れということができるのである。太子が斑鳩に拠点を置くようになった推古天皇13年(605)以降の新羅との関係は、それ以前とは全く異なった形であり、新羅使の渡来が頻繁になる。太子は新羅仏教に強い関心をいだいていたものと考えられる。新羅仏教はいわば国家仏教である。中国大陸に隋という強国が成立したこともその背景にあったろう。太子の強い意志で対新羅外交が進められていたのである。 以上のように、若草伽藍に見られる要素の広がりは、聖徳太子による政策の結果なのであり、新たな国家体制を創り上げていこうとする意気込みのあらわれなのである。
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