研究概要 |
方法論争を歴史学派の立場から総括したのは,W.J.アシュレーであった。その総括の要点を記すと,次のようになる。第一に,アシュレーは,方法論争が起こった原因は,両陣営の研究者の適性と関心が相違していたことにあると考えた。自分が特定の方向に沿って考えるのは,主として自分自身の精神的適性がその方向に合っているからであり,自分自身が惹かれている研究が,すべての課題のなかで最も緊急かつ有益なものだと感じるのは,きわめて自然である。第二に,一方の方法を他方の方法で置き換えようとする試みは,実際に成功しなかった。かつての過激な歴史学派が抱いた望みというのは,経済学における抽象的・演繹的な方法を廃棄して,これを歴史的方法によって置き換えるということだった。すなわち,経済理論の前提を現実的なものにするために,事実の調査研究から一般的なものを導出する過程が,演繹的推論に先行しなければならない。演繹的推論を行うのは,その後でなければならない,というのであった。しかし,この主張は,理論派はもちろんのこと,理論の役割に理解を示す歴史学派の論者からも,批判を招くことになった。しかし,第三に,方法論争は正統派経済学者の考え方に影響を与えた。すなわち,「学説の相対性」「社会現象の統一性」「行為の多元性」といった歴史学派の観点が,正統派の経済学者にも共有されるようになった。第四に,方法論争の結果,それまで軽んじられていた研究分野が,その地位を高めるに至った。ドイツにおいては理論的研究が,イギリスにおいては歴史的研究が,経済学上の一分野としての権利を獲得した。第五に,方法論争を通して,歴史学派の進むべき方向が明らかになった。今や,ドイツにおいてもイギリスにおいても,歴史学派の経済学者は,精力的に経済史の研究に取り組んでいる。アシュレーが方法論争を総括するさいに最も強調したのは,この点であった。
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