北海王元祥の長子元顯と次子元?は永安3年7月に斬殺され、太昌元年(532)8月23日に同墓陵区に葬られた。その各墓誌の字蹟を検討し研究成果を公刊した。その概要は以下のとおりである。 両誌の筆者は、同日に葬られた兄弟の元毓・元〓、また元?・元祥各誌の関係と同様、同手もしくは同一書流における酷似の書をなすもの同士である。このことは同一書法を継承共有する集団の存在を伝えているが、筆者が被雇用者であった場合には、同一書法継承グループによる揮毫受注が行われていた可能性も考えられる。また〓刻には、両誌とも複数の刻者が参画し、元〓墓誌は主にA〜Eの五刻法、元?墓誌は主にF〜Hの三刻法からなる。うちAとF、DとHとは同一刻者と判断しえた。刻法を異にする刻者や類似する刻者が〓刻を分担していることも、元毓・元〓、元?・元祥の両組と同様である。これらよれば、刻者たちは特定の刻法を伝承する組織の成員ではなく、種々の刻法の併存を容認する組織に属したといえる。これらの知見をえたことは、上述の筆者の問題同様に重要で、刻者組織の基本形態の解明を試み、その研究方法を開拓する本研究の目的は達成できたと考える。 なお、本年度に行った刻法分布の検討結果は、当初、過年度の研究成果を取り込んで冊子にて公刊する計画でいたが、元〓・元?両誌を検討する過程で、両誌に近似する書風が相当規模で行われていたらしいことが分かり、同一書法継承グループによる揮毫受注の可能性という、当初予測しえなかった究明すべき課題が浮上したため、その検討を省いて墓誌製造組織を論ずることはできないと判断し、本年度の検討結果は紀要での公表にとどめたが、本研究の一連の成果は、学会における研究余話として口頭でも発表した。
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