本研究では、中世菅原家(菅家)の基礎を築いたともいうべき菅原為長に注目し、その起点として為長による願文集『菅芥集』を対象とした文献的調査と考察を試みた。 『続群書類従』に所収されている「願文集」は、従来の先行研究において、作者および成立年代が不明のものと考えられてきた(『群書解題』解説)。しかし、宮内庁書陵部本・醍醐寺本・東寺観智院本、あるいは国立歴史民俗博物館蔵本などの写本の調査により、この「願文集」が本来は『菅芥集』という書名をもっていたこと、願文作者が中世初期に活躍した菅原為長であったことなどが明らかとなった。本研究においては、そこからさらに各写本の奥書を考察することによって、それぞれの書写事情を解明し、中世から近世にかけて、菅原為長の子孫がどのように『菅芥集』を受け継ぎ書写を重ねたか、その一端を明らかにした。以上の研究成果については、「『菅芥集』奥書考」と題した論文を、『語文』第86輯(pp.21-29、大阪大学国語国文学会、2006年6月)に掲載した。 また、『菅芥集』所収の願文そのものについても取り上げ、菅原為長の願文作成における背景とその立場について考察した。醍醐寺本系統所収の「信濃国常楽寺修善願文一首」においては、常楽寺(現在の長野県上田市別所温泉)の寺院史において室町時代とされてきた事項が(『常樂寺綜撹』常楽寺、2000年)、鎌倉時代初頭のものであったということを指摘した。また、国立歴史民俗博物館蔵本に所収される中原兄弟願文、すなわち鎌倉幕府創立期に活躍した中原親能や広元(建保四年に大江氏に改姓)等の兄弟のために為長が執筆した願文を通し、為長と鎌倉との関係について考察した。以上については、「菅原為長と鎌倉一『菅芥集』の背景についての一考察」と題し、大阪大学古代中世文学研究会(於大阪大学、2006年11月)にて口頭発表をおこなった。
|